幕末の英雄坂本龍馬の裏の顔 薩長同盟大政奉還で大儲け
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*おカネには困っていなかった坂本龍馬の脱藩生活
維新の英雄であり、歴史上の人物の中で最も人気があるのが坂本龍馬だろう。
薩長連合、大政奉還など維新回天の偉業を成し遂げたが、獅子奮闘の働きを見せたのは、
土佐藩を脱藩した文久2(1862)年から、暗殺された慶応3(1867)年の僅か5年間に過ぎない。
その間の龍馬の華々しい活躍を支えた活動資金は、いったい何処から出ていたのだろうか。こ
れこそ、歴史上の大きな謎である。
おカネの出所の一つは、龍馬の実家・才谷屋だろう。
土佐きっての豪商と言われた才谷屋の財産は2000両と謂われ、
現に龍馬は脱藩する時、姉の乙女から30~40両のおカネを貰っており、
それでも足りずに宝刀の柄頭を売り、大坂では大和五条の大商人・下辻又七から旅費を融通して貰っている。
土佐から京への旅なら、1両で間に合っていたはず。恐らく龍馬は旅の途中で豪遊していたに違いない。
今一つは、義母・伊与の実家である廻船問屋・下田屋ではないか。
ここからも、龍馬は千石積みの江戸大回し船が着く度に援助を受けていた。
龍馬を、ヨレヨレの脱藩浪人の様に思うのは、大きな間違いである。
龍馬の夢は、海運を盛んにして貿易で富を蓄え強力な海軍を作ることであった。
神戸海軍操練所閉鎖で行き場のなくなった龍馬は、恩師・勝海舟の斡旋で、
薩摩藩の庇護の元、日本で最初と謂われる株式会社「亀山社中」を結成した。
その時、長崎の豪商・小曾根英四郎の紹介で知り合ったのが、日本にやって来たイギリスの武器商人トーマス・グラバーである。安政6(1859)年に開港間もない長崎にやって来たグラバーは、日本の小判を上海で売って大儲け。彼の会社「グラバー商会」は、長崎の貿易の8割を一手に引き受ける大会社に成長していた。
龍馬は薩摩の首領・西郷隆盛の命を受け、密かに長州に潜入すると、第2次長州征伐を目の前にして、
犬猿の仲と謂われた薩長の間を、利を以て取り持った。
*「亀山社中」「海援隊」は日本初の商社マン育成機関
朝敵の汚名を着て武器を買うことも出来ない長州の為に、龍馬の亀山社中が薩摩藩の名義で武器を買い、
その武器を長州に運ぶと云う正に、ウルトラCの離れ業を遣って除けたのである。
一説に因ると、龍馬は武器商人グラバーのエージェントに過ぎず、
そうでないと7000挺以上もの鉄砲と蒸気船の購入など、不可能に近いと云う声もある。
しかし、龍馬が武器商人として豪腕を奮ったのは、この時だけではなかった。持ち船である「ワイルウェフ号」を海難事故で失い亀山社中が経営危機に陥ると、脱藩した土佐藩の肝煎りで、慶応3(1867)年、「海援隊」を結成する。武力討伐か、大政奉還かで揺れる中、龍馬は、薩長に遅れをとっていた土佐藩の為にライフル銃1300挺を、
オランダ商人ハットマンから購入。そのうちの1000挺を土佐藩に買い取らせ、土佐藩を倒幕勢力に引き寄せた。
龍馬は武力倒幕には最後まで異を唱えたが、その裏で武器を斡旋する商人でもあった。
もし生きていれば、商社マンとして世界を股に駆けていたに違いない。(画像・坂本龍馬、海援隊)
おカネでわかる世界の事件史
財布の大きさで勝敗が決まる戦争・革命
明治維新に活躍した武器商人・坂本龍馬の錬金術
*この本は2013年3月に初版されたものです。
ちょっと面白いお話を、たまに。(*^ー゜)v