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Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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紙上に兵を談ず 「史記・廉頗藺相如列伝/白起王翦列伝」

2017-04-23 04:57:12 | Weblog

 

秦が左庶長王齕に命じ、韓を攻めさせ、上党の地を取った。
上党の民は、趙に逃げた。趙は長平に軍を出し上党の避難民を救済した。四月、王齕はこれを理由に趙を攻めた。

この時趙には、すでに趙奢は亡く、藺相如も重い病の床にあった。 趙は廉頗を将軍として秦と戦った。秦は度々趙を破った。
その為、趙は守りを固めて防衛に徹した。
秦はしばしば挑発を仕掛けたが、廉頗は決して乗らなかった。
そこで、秦は間諜を送り込み、
「秦は馬服君趙奢の息子趙括が将軍になることを最も恐れている」
と云う言葉を趙王の耳に入れた。
趙王はこれを信じ、廉頗に代え趙括を将軍とした。
これを知った藺相如が王に言った。
「王は名が知られていることで趙括をお使いになろうとしておられるが、 これは琴柱を琴の胴に膠で貼り付けて弾くようなものです。 趙括は父の兵書を学んだに過ぎず、実戦で臨機応変に対応することはできません」
しかし、趙王は聞かず、結局趙括を将軍にした。

秦は趙奢の子が将軍になった情報を得て、密かに武安君白起を上将軍とした。

趙括は幼い時から兵法を学び、兵術を語れば彼に勝てるものはなかった。 嘗て、父の趙奢と兵法論を戦わせた時、趙奢も言い負かされたが、決して息子を褒めなかった。
趙括の母がその訳を夫に尋ねると、趙奢はこう答えた。
「戦とは命がけのものだ。だが、括はこれを軽々しく語る。
趙が括を将軍としなければよいが、もし将軍とすれば、
括は必ず趙軍を破滅させるであろう。」

趙括の出陣を前にその母が王に上書した。
「括を将軍となさるべきでは御座いません」

王が「如何なる訳だ」と問うと、母は、
「私はその父の妻で御座いました。 括の父趙奢は嘗て、将軍を拝命しておりました。 自ら酒食をすすめ労らった者は数十人、また友は数百人御座いました。 大王や宗室からいただいた恩賞は全て部下に分け与え、 出陣の命を受ければ、家の事は一切顧みませんでした。 ところが、今、括は将となりましたが、閲兵式の際も部下に対し傲慢な態度をとり、 軍吏は顔を上げることもできなかったとか。 王から賜った金品も全て持ち帰り、土地家屋を買いあさっております。 とても父には及ばぬと思われませんか。父と子はまるで違います。 何とぞ、王にはご再考をお願い致します」

けれど、王は既に決めたことだとして取り合わなかった。
やむなく趙括の母は、
「どうしても括をお使いになると仰るのなら、 万一、括が任に耐えないような事がありましても、 我が家にはお咎めなきようお願い致します」と願い出た。王はこれを聞き入れた。

廉頗と交代した趙括は作戦や人事を大きく変更した。
この情報を得た秦の将軍白起は奇襲の兵を放ち、敗走すると見せかけ、 すかさず趙軍の補給路を断ち、趙軍を二分させた。
四十日が過ぎ、趙軍は飢えに苦しんだ。
趙括は精鋭を率い自ら討って出たが、あえなく秦軍の矢に斃れた。 趙括の軍は敗れ、数十万人が捕虜となった。
しかし、趙王は、先に約束した通り、趙括の母を罰することはなかった。

「紙上に兵を談ず」とは、机上の空論を弄ぶこと、実践を伴わずに役に立たないことを言い、
「琴柱に膠す」は全く融通のきかないことを言います。






夜中に猫たちの揉め事で仲裁に何度か起き出す始末なんで、
本当に起きた時には何だかボーッとしているのです。
でも、こんな↑ことを書いたりしているうち、直にシャキッとして来るの。
よほどに好きなことなんだろうと自分でも思っていますが、
たくさんの猫たちの面倒をみることも、実はとても幸いであるんだとも思います。
向上心がない様だけれど、私は変わらず、少しでもこんな時間が続けばいいと想っています。

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