呉軍10万に対し魏軍は僅かに7000。
この劣勢を李典、楽進と共に防衛しこれを撃退している。
張遼、李典、楽進の組み合わせは、普段仲が悪い同士が、危機を如何に脱するかと曹操の決断があった。
この時、張遼は800騎を率いて敵中に飛び込んで、陳武を討ち取り、徐盛に怪我を負わせ、総大将の孫権を捕縛寸前まで追い込んだ。 しかし、難を逃れた孫権が張遼は寡兵であると知ると大軍で以てこれを完全包囲した。 一転、窮地となってしまうが部下と共に奮戦、血路を開いて包囲を脱出する。
ところが、敵の包囲の中に部下が取り残されている事に気付くと、何と引き返して再突撃を敢行する。 部下を救出した彼はもう一度包囲を破って脱出した。 この日、彼の部隊は半日戦い続けたと謂われる。魏軍将兵の士気は天を衝かんばかりに燃え上がり、呉軍は十数日の包囲でも合肥を落せず、何の収穫もなく撤退した。
鬼神の如き戦いぶりは相対した孫権や江東の兵たちに相当の恐怖を植えつけた様だ。
この活躍が元で、江東では子どもを静かにさせる時に「泣いていると張遼がやって来るぞ」と言い聞かせた。これが「泣く子も黙る」の語源となったと謂う。
(画像・張遼「歴史人 完全保存版 三国志の真実」より)