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Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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謎の軍人が始皇帝を訪ねて来た 始皇帝が重用した尉繚

2018-03-08 04:05:16 | Weblog




◆心の中では恐怖していた
 始皇帝の親政が始まった紀元前238年に、ある人物が秦を訪れた。魏の都である大梁からやって来た男の名は尉繚(うつりょう)。尉繚は魏の人間と云う以外の経歴は不明なのだが、始皇帝に謁見して天下統一の策をこう進言したと『史記』に記されている。「秦には諸侯と比べ物にならない強大な力を持っています。ですが、その諸侯が連合して不意を衝いて来ることがあっては為りません。財を惜しまず、諸侯の重臣を買収して、彼らが同盟を組むのを防ぐべきです」始皇帝は早速、この策略を取り入れ、尉繚に自分と同等の衣服と食事を与えたと謂う。それだけ尉繚を高く評価したのだが、当の尉繚は秦を逃げる様に去ろうとする。始皇帝と云う男を恐れたのである。...
後世の人間が始皇帝の人物像を語る上で拠り所としているのが、尉繚の次の様な言葉だ。
「高い鼻に切れ長の目で、胸は鷲の様に突き出ていて、声は山犬の様だ。そして人情味に乏しく、虎狼の心を持っている。役に立つ相手には頭を下げるが、用が済めば簡単に捨ててしまう」
始皇帝を冷酷な暴君とイメージづけしてしまった尉繚だが、結局、去ることは許されず秦の軍事長官に登用された。
『史記』には尉繚の戦略を李斯(りし)が実践して天下統一を実現させたと書かれているが、果たして天下統一を成して用が済んだ後には、彼が語った通り始皇帝から捨てられたのだろうか?
残念ながら、その答えは書物にも残されていない。
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◆始皇帝に話した策略で天下統一は早まったが.......
                実在が疑われる尉繚とは
 
尉繚はその実在が疑問視されることもあるが、彼が書いたと謂われる『尉繚子』は『孫子』『呉子』と並ぶ兵法書として知られている。ただし、『尉繚子』を書いた尉繚は秦に仕えた尉繚とは別の人物ではないか、若しくは別人だが血縁関係はあるのではないか、などの諸説があり、尉繚がどう云う人物だったのかは謎のままである。

 『尉繚子』の著者・尉繚の人物像には以下の3つの説がある。
1.ここで紹介した始皇帝に仕えた魏の人。
2.魏の恵王に仕えた魏の人。恵王は始皇帝の100年以上前に生まれている為、先述した様に1と2は別人、若しくは別人でも血縁関係があるのではないかと謂われている。
3.斉の人物で、鬼谷と云う仙人とも謂われた思想家の弟子である。

 『尉繚子』は、『孫子』『呉子』などの影響を受けて書かれてたと謂われている。その背後には秦で重用された法家思想がある。法家思想とは、厳格な法で国家を治め様と謂うもので、王が周りを従わせる為には軍事的威嚇が必要とも説くものである。『尉繚子』も大義名分が明らかfられば先制攻撃も差し支えないとしている。

 始皇帝が登場する人気マンガ『キングダム』。歴史上の人物が多数登場する作品なので、尉繚の登場を期待するファンも多い。経歴には不明点が多く謎の多い人物だが、逆に言えばそれだけ創作の余地があるわけで、中には「某キャラが後の尉繚」と云う妄想をするファンもいる。尉繚が別の名で歴史に刻まれていたとしたら、それは面白い話ではある。

(画像・尉繚)

    

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