Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆始皇帝の祖父母はどんな人物? 孝文王(安国君)と華陽夫人

2023-01-29 06:20:35 | Weblog
◆老夫婦を口説く呂不韋
 そもそも、子楚が安国君(後の孝文王)の太子となったのは、
すべて呂不韋の計略であった。
子楚に用意した資金の半分を渡して賓客と交際する費用とする様にした後に、
秦へと向かった呂不韋は、華陽夫人の姉に会い、彼女を通じて華陽夫人に謁見した。
この時に、彼は「子楚は賢智の人で、あまねく天下諸侯の賓客と交際しておられ常に、『自分は夫人を天とも思っている』と申されて、日夜、太子と夫人を偲んで泣いておられます」と囁いたと謂う。
そこで夫人が人を使って子楚の評判を確かめてみると、呂不韋が言った通りであった。
そこで呂不韋は、今度は夫人の姉を通じて「容色を以て人に仕える者は、容色が衰えると愛情も緩む」と、夫人の心を揺さぶったのである。
確かに寵姫の地位にはあるが、世継ぎを産んでいない夫人が不安を感じていないはずがない。
夫人が不安を募らせているのを感じた呂不韋は、頃合いを見て「どうして今のうちに、早く太子のお子様の中で賢明で孝行心の厚いお方と結んで、嫡嗣になされて養子としないのですか。そうなされば夫が在世中には尊重され、夫が亡くなった後も養子にした者が王になり、最後まで勢いを失うことはありません」と告げたのである。
夫人もこれに納得し、趙に人質に出されている子楚と云う公子が非常に賢明で、
彼と交際している者が皆称揚していることを、安国君に幾度となく囁いた。
こうして、呂不韋の策は成功したのである。
この策略は華陽夫人にとっても利益があったもので、夫である安国君が死去した後に、
子楚の実母・夏姫と共に太后としての地位に収まることができた。

写真の説明はありません。

戦国時代の鍍銀青銅壺。呂不韋はこう云った珍奇な品を献上したと思われる



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