最近、目がすっきりしなかった。
マウナロア火山の噴火の粉塵のせいか、目が痒い。それに加えて、まつ毛が入ったときのような違和感があることが多く、その都度、日本から買ってきた抗菌目薬をさしている。
6,7年ほど前にまぶたの裏にデキモノができて、麻酔がけっこう痛い手術を両目とも受けたことがあり、それ以来、目の状態には気を付けている。
数日前、眠る時に目が痒かった。
こすらないように、目頭を押すのだが、痒みはなかなか収まらない。
デキモノはないが、目がなんとなく重だるい感じがする。
そこで私は急にひらめいて、両手を合掌の形にして、てのひら同士をこすりあわせてから、両手で両目を覆った。
てのひらの熱が、目に温かい。
『私の目さん。毎日すばらしく健康でありがとう。
美しいものや愛するものをはっきり見せてくれて、ありがとう。ありがとう。ありがとう』
心の中で繰り返しつぶやいた。
翌朝、今まで見たこともないような大量の「目ヤニ」が、特に右目から出ていて、眼の縁にこびりついていた。
痒みはほぼ収まっていて、重だるい感じも消えていた。
私は、人には癒しのパワーがあると信じていて、それが手のひらから出ることも知っている。
というと、なんだか宗教ぽくなっちゃうんだけど、そうではない。
30年も昔、両掌を合わせてエネルギーのボールをつくれることを教えてくれた友人がいる。
手のひらからは電流のようなエネルギーが出ていて、両掌を間隔をあけて合わせていると、磁石の同極同士が反発するような「なにかがそこにある」感覚がある。
意識をそこに集めていると、その見えないボールは少しずつ大きくなっていく。
友人は、別の友人の家で二人でそのボールを作って遊んでいたら、どんどんボールが大きくなっていき、肩幅ぐらいになったので、腰を痛めてうつ伏せになっていた友人のダンナさんの腰にそれを「そーれ!」と投げたのだそうだ。
そうしたら、ダンナさんが起き上がれるようになったのだという。
それが何であるのか、私は知らない。
けれど、人には人や自分を癒す力が備わっているのだと思う。
「手当て」の語源は、言葉どおり手を当てること。
昔から、手で治すことを人は知っていたのではないだろうか。
次の日も、私は手のひらを目に当てて感謝をした。
昼間、多少目は痒いが、重だるさや違和感は消えている。
身体の気になる部分に手を当てて、感謝をする。
きっと何かが起こる。
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