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石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

湊の知人からのお便り

2018年03月25日 | お便り

  湊の知人からお便りが届きました。

 以下に紹介します。

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 七年の年月が経ち私は、人びとの心に灯火が点る出来事が沢山あればいいなぁと思います。

 たとえ幻想でもよいからと思うのですが、いかがでしょうか。現実は景色も心も寂しそうです。そこを湊の人びとは健気に生きています。 

  写真は震災前の湊の風景。遠くにガスタンクが見え、湊中、第二小学校(廃校決定)も見えます。手前は旧石巻漁港。湊の活力が感じられる写真。あの頃は確かな現実だった。今となっては幻想でしょうか?すべてが夢の中。懐かしいです。

  実はこの写真、大きなパネルになっていて、千葉県佐倉市にある国立歴史民族博物館に展示されているのです。震災まで中瀬公園にあった正ハリストス教会の洋風木造教会堂が明治13年に建てられて、現存する日本最古のものとして展示されています。この写真は教会模型のバックになっているのです。 

 物館でたまたま偶然これに出会い絶句しました。丁度、湊地区の復興記事について思案中でしたので、特別な思いを持って見入りました。このコーナーは写真撮影も大丈夫でした。 

 石巻ハリストス正教会は被災して取り壊されていますが、今後は再建が計画されているとのことです。

 湊の写真はいつまでもここに展示されていて欲しいです。ずっとここに残るように、館長様、どうぞ宜しくお願い致します。

 

  中瀬から内海橋を西に渡って行くと仲町。川沿いを右に行くと住吉公園。

 ちょっとオシャレなその公園で小学生の頃遊んでいたときに、行きずりのオンちゃんから聞いた話を近ごろ思い出したりします。

 川面に夕陽を浴びてキラキラ光る清らかな風景の記憶。

『石巻という地名はナ、昔、昔、川の底にあった大っきな石がナ、ぐるぐると巻いたから石巻という名前になったんだど』

 これを聞いて怖い幻想を描いて帰った子供の頃。なのに次の日は記憶にない。まさかそれが現実になるとは思いもしないで過ごしてきました。

  還暦を迎えてあの津波を目の当たりにするまで、すっかり忘れていました。 

 60年前に会ったあのオンちゃんは真剣な気持ちだったんだろうに。よい人たちに囲まれて過ごしていたのだと今になってアレコレと思い返しています。

 

 ところで昔、昔、ここ湊は、牡鹿ノ郡湊村という地名でした。大門崎(だいもんざき)の一皇子(いちおうじ)神社の石碑にその地名が刻まれています。 

 一皇子宮(いちおうじみや)は被災して無惨な姿でしたが、本殿と社務所はきれいに修復されています。ただ、白龍様の赤いお堂が取り壊されたまま、土台だけの状態です。 

  

 石碑に刻まれている700年前の国史は興味深いです。 

 大塔宮護良親王(おおとうのみやもりなが親王)は晩年を湊で暮らし此の地で薨去されたという内容の経緯が詳しく伝えられています。 

 明治天皇が大塔宮護良親王(後醍醐天皇の一皇子)を祀られた鎌倉宮があるというのに。ここ湊にも一皇子宮がある。どちらが正しいのか、本当のところはわかりませんが、湊の人びとにとっては、いえ、石巻にとっても心の灯火となる大切な歴史ロマンがここにあると思います。たとえ幻想であったとしても私は信じます。湊の人ですから。(ニコニコ)

   御所入(御所のいり)や大門崎(だいもんざき)という地名も所縁ある地名だということです。 

 昭和の時代に一皇子前(いちおうじまえ)という地名から吉野町に変更されました。これも又、南朝物語に由縁のある地名となっています。 

 

 湊地区は津波で流された空地にポツポツと新築が増えています。あと50年は来ないだろう。あと100年は来ないだろうと見越して暮らしている人は多いと思います。

 「防災意識を大切に過ごしましょう」

と思います。

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  東日本大震災7年後の湊の様子や思いが伝わってきます。

 写真の湊町の様子は、あの頃がまるで今もあるように感じられます。(私は、石巻を離れているからなおさらそう感じられるのかもしれません。)

 それにしても、「一皇子宮」等のことは私にとっては初耳でした。大門崎 という地名についても訳等考えたこともありませんでした。そんないわれがあったとは、地名が示すものって深いですね。

 支倉常長の遣欧使節といい、石巻は意外に歴史が豊富なのかもしれませんね。

 以前、用事があって石巻の神社を訪ねた時、その墓地にある墓石には隠れキリシタンの印が刻まれているものがあることを聞きました。

 様々な歴史が息づいていたのですね...。

 

 


どんぐりレポート 「まだ見ぬまちへ ー 石巻・小さなコミュニティの物語」上映会

2018年01月27日 | お便り

 

  どんぐりさんから、お便りが届きました。前にお知らせしていた映画の上映会のレポートです。

 では、どうぞ!!

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 124日、都心に大雪が降った次の日だった。

 中野の街は、歩道の真ん中は大勢の人が通ったので雪がなかったが、人ひとり分を外れると、雪が凍ってつるんつるんと解けてビショビショが一緒になってまあ、危ないのなんのって……。

 そんな足場の悪い中を、前日の雪かきで痛い腰と膝をかばいながら歩いてたどり着いたのが、なかのZERO視聴覚ホール。映画に賛同して募金した人たちへの上映会で、首都圏で2回するうちの1回だったので、30名くらいだったろうか。多くもなく少なくもない人数だった。

 私は夫と一緒だったが、中で高校時代の友と待ち合わせた。年賀状のやりとりはあったが、何十年ぶりかの再会なので、もしも顔がわからなかったらどうしようとドキドキして行ったが、人数も少なかったから、すぐ目があってわかった。よかったぁ!! 

 Jさんは今も元気に仕事していて忙しそうだった。 

 Jさん、この映画を撮った青池憲司の門脇小中学校の生徒を撮った前作も見たとのこと。さすがだ。

 さて、今回の映画の前に、監督のご挨拶(写真マイクを持っているのが青池監督)。復興を撮ったのではなく、コミニティの普通の生活を撮ったのだと強調された。そのときはどういう意味かわからなかったが、映画を見たらなるほどと思った。やはりそれがもの足りなかった。私にはそれが欠点と思えた。

 まあ、見てください。見ていただいて一緒に石巻を語りましょう!

 

 映画のあと、予約していたすぐ近くの宮城漁師酒場魚谷屋に3人で行った。開店してすぐの入店だったので、お客さんがいなかったので写真を撮らせてもらったけど、スタッフの方が動いていたのでうまく撮れなかった。その日は牡蠣漁師の方が来ていたので、まず牡蠣からいただいた。

 そのあと煮魚とか焼き魚とか注文して、まるまる1匹大きい魚がきておいしくいただいたのに、食べて骨だけになって気が付いた。インスタ映えとか考えて、写真撮らなければならなかったのに。

 宮城の酒がずらりと並んでいた。私は日高見をいただいた。

 牡蠣の酒蒸しの酒も日高見だったね。

 夫は近々友だちと会うことになっているので、ここを使おうと言っていた。

 私もまた石巻の人と会う時は、ぜひここにしたいと思った。

 Jさんと旧交を温めて、豊かな気分になって別れた。

 映画会でもらったリーフレットを紹介します。時間があったら行くつもりだけど、あなたも興味があったら行ってください。

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 どんぐりさん、お疲れ様でした。本当に何年ぶりの大雪の後で、東京は慣れていないから大変でしたよね。

 でも、同級生とも無事会えて良かったね。あまり変わっていなかったとのことですが、私もお会いしてみたいものです。ただ、パワフルなところは想像できますよ。

 映画の方は、私は仙台での上映会かDVDでと思っていますが、ちょっと期待感が薄れたかなー...。

 

 でも、リーフレットの中にちょっと思い当たるものを見つけました。

 「東日本大震災遺児支援 カンガルーの会のチャリティイベント」の左下の写真です。

【 1 公演(対談)『百年後の命を守る』~愛すべき未来のため我が道を~  】というテーマの

  対談の方として、東松島市立第2中学校校長(ー線部分が小さくてはっきりとは読めません。)阿部(名前もよく読みとれません)× 伊藤唯(学習院女子大学1年)と書いてあります。

 奥松島と学習院と聞いて先日聞いた話を思い出しました。

 同級生のみなさんは、私たちが高校に入学した時の生徒会長さんを覚えていらっしゃいますか?Oさんという方です。落ちついた物腰で、穏やかな中にも凛とした気品に満ちた輝くような笑顔がとても素敵に思えて、友達と憧れたりしたものです。彼女は確か奥松島のあたりの出身でした。

 2~3年前に聞いた話によると、その方が当時学習院の大学で教鞭をとっておられたとのことです。東日本大震災による奥松島の被災状況には、どんなにか心を痛めたことでしょう。

 そんなご縁で実現した対談なのではないかと思ったりしました。

 

 何はともあれ、様々な所で今も地道に被災地応援が続けられていることを改めて知りました。

 そして、Jさん同級生も元気で自分の道を歩んでいることを知って心強く思いました。

 どんぐりさん、お忙しいところ、お便りありがとうございました。


やゃ! ジョーくんか?    メロリンさんのお便り

2018年01月02日 | お便り

 

 新年 おめでとうございます!!

 上の写真はメロリンさんが、「白鳥の里」で撮影した白鳥たちの写真です。80羽以上数えたそうです。(宮城県遠田郡美里町にあります。)

 真っ白で無垢な大自然の冬の風物詩の風景とともに、2018年を迎えることができるのは嬉しいことです。

 2018年の幕開け! デパートに行くと、初売りでにぎわっていました。なんだかんだと言っても、とにかくお正月。離れている家族も戻ってきて賑やかな子どもたちの声も響きます。

 初詣に行くと、前にいる青年(?少年?)が随分丁寧な作法をしながら熱心にお参りをしていました。(何を祈っているのかなあ。受験生かな?)と思いながら(やっぱりお正月!)と感じました。

 さて、三が日はお正月。と思ってはいても、今年は4日が木曜日なので、実家へ里帰りした方々も2日の夜か3日のお昼頃にはまた、帰省しなければならず、そろそろ気持ちがそちらに向いているのでは..と思いながら、自分も「4日には日ごろのルーティーンが始まる」と気持ちが引き締まってきています。

 昨年は、メロリンさんから「鳥シリーズ」とも言える身近な鳥たちのエピソードを伝えてもらいました。

 そして、最後に途中になっていた、ジョーくんについてのお便りが届いていますので、紹介いたします。

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「やゃ、ジョー君か?」

 

 10月25日にあの不気味なハシブローが現れてからは、イヤな予感を打ち消す作業が大変でした。ちょっとした暇になるとジョービタキの平均寿命を考えたりもしました。

 今年の春3月20日にジョー君の姿を見てから、この秋に又飛来すれば4度目の秋という事になる。1年に1往復。日本海を飛び越えて行ったり来たりするという。

  大型台風21号が去った後にも庭の渋柿は落ちずにたくさんの実をつけていた。渋柿を収穫して干し柿作りに精を出していた11月2日のこと。夕日を浴びた背中の後ろから「ヒッヒッヒッヒッ」とジョー君の声がする。「や、ジョー君だ」と思い喜んで振り返ると、西側の電線に黒い小鳥の影。夕映えを背に受けて真っ黒く見える。「わぁー」

 私は全身に感動を覚えた。今年もやって来たんだ。嬉しかった。夕刻4時半。するとジョー君はいつものようにテラスを斜めに低空飛行して空き地のフェンスに止まった。辺りは薄暗く、一瞬の出来事なので、私の目には羽の色が茶色に見えた。

 「アレ?黒い羽に白い紋付き模様が見えなかった」おかしい。

  フェンスに止まっているジョービタキを見ると、やはり羽の色が違う。そして、あっという間にジョー君の寝床に入り見えなくなった。「アレアレ」声と姿がジョー君そっくりなのに、何だかへんだ。

  その日はジョー君と判断出来ずに終わってしまった。「明日になれば分かるだろう」と思った。

 

  翌日は朝早くからジョー君?の声。AM6:30。私は布団の中で聞いて飛び起きた。いえ、ゆっくりと伸びをしてそうっと起きました。若くはないので。

  『確認しなくては。早くしたい』              

 ジョー君の寝床は、元々は隣りの空き地の中でした。そこから声がする。声のする方を見るといました。いました。いたのはジョービタキのメスでした。

   鳥の図鑑に載っているメスとは少し個体差があり、薄緑と言うよりは茶色がかっている。

 下方の尻尾が朝日の光でオレンジ色に見える。御腹の色は灰色。鳴き声もジョー君とはちょっと違う。ジョー君のぴんぴんと響く金属音よりは、ほんの少しおとなしそうで鈴の音のような優しい音色。でも、ジョービタキの鳴き声には違いはない。 

 なぜ、ジョー君そっくりのメスがやって来て、ジョー君の寝床を使うのだろうか?

 私は独断と偏見で答えを出した。「そうか、ジョー君の娘か」それしかない。ジョー君の娘のジョー子ちゃんだと決めた。それからはジョー子ちゃんと毎日を楽しんでいる。

 あのハシブローを思い出す。

  ジョー君は寿命なのだろうか。11月中は諦められずにメガソーラーのフェンスに何度もジョー君を探しに行った。娘のジョー子ちゃんに自分の縄張りを与えて、自分は新たな縄張りを開発しているかも知れない。

 12月後半に入り、今ではもう諦めました。

  

 ジョー君はいないけれどジョー子ちゃんがいるからいい。世代交代したのでしょう。我々も同じ。世代交代の時期。

 ジョー君、良い思い出を有り難う。ジョー子ちゃんを送ってくれて有り難う。

  ジョー子ちゃんにせっかく寝床の場所を教えてくれたのだから、飛びゲリの仕方も教えて欲しかったわ。ジョー子ちゃんは一度だけ飛びゲリの場所のプランターで遊んでいたことがありました。そこは、お父さんの好きな場所なのよ、わかるの。と思いました。ジョー子ちゃんは一度も飛びゲリはしませんが、朝に夕方に声を聞かせてくれます。楽しい暮らしです。これからもずっと続く予定です。

 

 思えば四年前の秋に、ジョー君が初めてやって来てテラスの窓に飛びゲリをしたのがキッカケでした。あの鳥は何だ?なんてバカな事をする鳥なんだと家中で笑う出逢いでした。あれがなかったらジョービタキという鳥の存在すら知らずにいたと思います。

   あの頃はあの震災の後の心の暗い時期。ジョー君は笑いの救世主でした。

  

  人生とは不思議なものです。

 

               終わり

 

 

  この「鳥たちの四季」に登場する鳥たちは、現実に実在する鳥たちであり、架空の物語ではございません。)

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  メロリンさん、ありがとうございました。

 とても楽しく読ませていただきました。そして、時の流れを思いました。 

 自然の力って素晴らしいですね。そんな風に強く感じました。

 石巻にも、自然がいっぱい!先日石巻で走り初め?をしているイベントのニュースがありました。家族で参加していて、とても元気そうに走る子どもたちの笑顔が印象的でした。

 

 今月の24日には、前にお知らせした石巻についての映画が東京の中野で上映されるようです。中野は、石巻の「漁師の居酒屋」がある所のようです。そこに行くと、石巻の人たちもいたりするのかな?ご存じでしたか?

 

 それでは、今年が良い年になりますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


メロリンさんのお便り ~ 「ツバメの来店」  「カラスのハシブロウ」

2017年12月02日 | お便り

 

 メロリンさんの前回の「鳥たち」のお便りの続きです。

 以下、紹介します。

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「ツバメの来店」

 

  そして5月、ツバメが飛来しはじめて初夏を感んじました。近年は長くつばめを見かけなかったのは私だけでしょうか。今年はツバメの巣を沢山見ました。

   ある夏の日、私がコンビニの自動ドアを入ると同時に一羽のツバメも一緒に入店しました。

 私の頭上を鳥が飛んだ気配はありましたが、あまりにも予想外の一瞬の出来事なので、背中で自動ドアは閉まり、なすすべなし。

 ツバメはせまいコンビニの天井を旋回して飛んでいる。

   店長(男性)は慌てて棒でツバメを追い回す。ツバメは「きゃっ」と言って逃げる。店長は高窓を3ヶ所開けてツバメを追う。やっと逃げ道を見つけてツバメは外に出た。店員(女性)と店長は急いで高窓を閉めた。

  一連の出来事を私はただ口を開けて呆然と見物。店長が言う。「店の軒先に巣をつくったんですよ」見ると自動ドアの斜め上に巣があり子育て中。

  これでは私でなくても客の来店の度に入店する可能性は高い。ツバメの来店は初めてではないらしい。

  その数ヵ月後にはその店セーブオンはローソンに変わりました。

  ツバメは「きゃっ」と言って逃げた。ツバメは「きゃっ」と言うのだ。面白かった。夏。

 

 「カラスのハシブロウ」

                                                                                               つづく

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「カラスのハシブロウ」

 

  常住でいつもいるスズメやカラスたち(留鳥)は、いつでも何処にでもいそうだから珍しくはありませんね。まさか、スズメやカラスに何子ちゃんとか何男君とか名前を付けている人もなく、彼らは群れているので見分ける事もできない。名付けようがないのが普通です。

  10月25日。この日我が家の庭へ一羽のハシブトカラスがやって来ました。私達夫婦と兄夫婦と四人で庭で立ち話をしているときに、空から私達の間近へ降りて来ました。兄「おや、なんだこのカラス、イヤに人なつこいやつだなぁ」本当に皆がそう思いました。四人の見ている前をのそのそと歩く。こちらから近づこうとすると、少し離れたフェンスの上に飛び乗ってこちらを見る。ばかばかしい。深追いは禁物。大人は忙がしいのだ(笑)その日はそんな暇がなかった。

  翌日は私一人。家の中と外を忙しく行ったり来たり。ふと見るとまた、昨日のハシブトカラスがフェンスの上にいた。秋晴れのいい天気に、私はスマホを持ち出してカラスに向けてシャッターを三度押した。家の回りにはハシボソカラスは群れてよく見かけるけれども、ハシブトカラスは少ないのだ。そんなには珍しくもないけれど。

  写真の出来映えを見て私はぎょっとした。写真のカラスは三度共こちらを向いている。あれあれ、又、変な鳥との関り合いなのかなぁと思ったりした。このカラス、何かイヤな知らせを運ぶ使者なのかなぁとも思ったりもした。

  けれども、私はあえてそれらを打ち消した。まさかまさかと打ち消した。

  その後そのカラスは現れていない。ずっと来ていない。あの二日間だけだった。

  夫は、そのハシブトカラスにハシブロウと名をつけた。今度会ったらハシブロウだと分かる自信があるらしい(笑)

  我が家の南西には高い電柱があり、しょっちゅうハシボソカラスがやって来ている。彼らは二、三羽で来ていて区別が全くつかない。名前など付けようもない。これが普通です。

 

 

 

「やゃっ、ジョー君か?」

 

    つづく

 

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 またまた、続きがあるようです。楽しみに待ちたいと思います。

 メロリンさんの周囲は本当に自然が豊かなんですね。居ながらにして鳥たちとの様々な出会いがたびたび起こるなんて、楽しそうです。

 それにしても、ハシブロウのカメラ目線については初めて気がつきました。写真のカラスは確かに真っすぐカメラの方を向いていますね。なにしろ真っ黒なので目がどこを向いているかなんて考えたこともありませんでした。きっと、シャッターの音や人の気配に注意していたのでしょうか?カラスは賢いといいますからね。

 でも、写真を見てカラスも自分の方をいつも見ていたと気づいた時はメロリンさんはびっくりしたことでしょう!

 ところで、先日私は「ソフトバンク」の店に行きました。

 そして、お店の人と話したり相談しているそばに、「ペッパーくん」が立っていました。

 私が(ペッパーくんだ。)と思っていると、彼が「こんにちは。あそんでみませんか?」と話し始めました。

 そして、胴体の液晶画面にいくつかのアイコンがうつりました。

 私は遊ぶつもりもないし、要件も終わっていないので。少しその場を離れました。そしてちょっと、ペッパーくんを見てみると、ペッパーくんの目はしっかりと、私を見ています。また、ちょっと場所をずれてから彼を見ると、やっぱり、しっかり私を見ているのです。

 つい最近テレビで「IT家電の恐怖」という番組を見ました。そこでは、家電を外部からインターネットを通じて動かすことができるようになってくることによる悪用の危険について説明していました。

 ある家庭で母親が自分が留守の時の子どもたちの様子を見られるように、カメラを部屋に備え付けて日ごろ利用していたそうです。(現実のことです。)

 ところが、家にいる時、ふとカメラを見ると、カメラの向きがひとりでに動き自分たちの方に向いたそうです。そして、それから、誰かの話し声が聞こえてきたというのです。日本語ではなかったので何を言っているかは分からなかったそうですが、自分たち以外の誰かが自分たちのカメラを操作して自分たちを見ているのではないかと思ったということです。

 その話を思い出しペッパーくんのレンズを通して誰かが見ているのではないか...という感じにもなり。(こっちを見るな)という気持ちになりましたが、もし、「こっちを見ないでね。」と言ったら、「はい。分かりました。」とか言って視線をそらすのだろうか?...?

 そんなロボットに見られるよりは、カラスの方が、まだしも見てる意図を想像できるというものです。何度もくれば、友達になれるかもしれないし...。可能性が感じられます。

 「カラスのハシブロウ」くんの話を聞き、そんな風に思いました。

 メロリンさんの鳥についての文を読んでいると、その鳥についての自分の周囲のエピソードを思い出し、話したくなります。鳥が身近にいるって良いですね。

 


メロリンさんからのお便り ~ 「鳥たちの四季」  「カワセミの春」

2017年11月18日 | お便り

     

  久しぶりにメロリンさんからお便りが届きました。

 身近にいる鳥たちの様子を知らせてくれました。

 以下、紹介いたします。

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「鳥たちの四季」

 

  今年の春、3月下旬にジョウビタキのジョー君が渡去したあとには、翌朝直ぐにウグイスの声が空に響き渡りました。

  まるで役目を交替したかのように。我が家の目の前の林の中で鳴いています。ホトトギスの声と共に、ホーホケキョと、トーキヨートッキョキョカキョクの声が。

残念なのは鳴いている姿が見えない事です。

 

「カワセミの春」

 

 私の散歩道には人工池があり、そのそばを小川が流れています。川の西を自動車道が走り市街地からは車で20分。緑多い所。ここ数年宅地開発で緑が減り、鳥たちを心配しながら散歩をします。

 4月の小春日和。人工池の土手の上に三脚を立てて大型望遠カメラを並べたカメラマンたちが、20人ほどべったり張りついていた。好奇心があり、私は2メートルの土手を思わずかけ登り、何事ですか?と見知らぬ男達の中の一人に小声で尋ねました。「カワセミの巣立ちですよ」

 その日の午前中は私にはタップリの時間が有ったので、そこで約一時間素晴らしいバードウォッチングを体験しました。 

 

 池のフェンスに肘をかけ、皆が見ている方を覗くと、まずメスのカワセミが10メートル先の竿の上に見えました。カワセミのママだ。メスはくちばしの下が赤い。背中の羽が青くコバルト色に光りお腹回りのオレンジ色との対比が美しい。池の水際は石垣が組まれ自然に近い作りになっている。石と石との隙間の穴の一つがカワセミの巣になっていたようだ。

 

その隙間にきれいな青く光るものが動いて見えた。雛だ。足の動きもたどたどしく心ぼそい。雛も親鳥と全く同じく美しく、ただ小さいだけ。

 

 雛はママに促されて初めての飛翔まで長い時間がかかっている。30分。それ以上かも。ママが「オイデ、オイデ」をしている。羽ばたいて見せる。そのしぐさも可愛い。(ワァーっ)と叫びたくなる気持ちを我慢してじっと見る。静かに見る。

 

 雛は「コワイヨ、コワイヨ」と言っているように見える。プルプル震える。

 

 そこにいる全員が集中して見守っている。が、シャッター音だけは消す事ができない。

 

 人工池の向こうの半分は葦原に覆われていて、ママ鳥が隣の竿に動く度にパシャパシャとシャッター音。雛が動く度にもパシャパシャ。

 

 ここにいるカメラマン達は全員が心が裕かな中高年。一生に一度のシャッターチャンスを逃すまいと息を潜めてレンズを覗いている。穏やかな空気感。私はたまたま通りかかっただけの運の良さ。ふふふ。

 

 カワセミのママは広い池の反対側の竿に 直径20メートル程飛んでは又、雛の側の竿まで戻る。羽がコバルト色に光る。雛を呼んでいる。こう翔びなさいと。雛は石を渡り半歩づつ前に出る。勇気をふるう。親子のやり取りがジンジンと伝わってくる。二匹のコバルト色が目に沁みる。雛は一番ちかくの低い竿の上にちょこんと乗った。その瞬間うるさい程のシャッター音。

 

 そしてとうとう、初めての飛翔。雛はママのいる竿の近くまで10メートル程飛んだ。巣立ちである。2匹はそれぞれの竿の上で顔を見合わせた。「ぼうや、よく出来たね」とママが誉めてあげたのでしょう。

 

 次の瞬間、2匹は連れだって春色の林の中へと消えて行った。 人工池を一っ飛びに飛び越えて、いなくなっちゃった。 

巣立ちから長飛行まではあまりにも短時間。 あっという間にいなくなりました。

  

 

 

「つばめの来店」

 

                               つづく 

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 今回は、何回かにわたっていくつかの原稿を送っていただきました。

というわけで、とりあえず今日はこの2つを紹介いたします。

 この原稿が届く前日、私はちょうど多賀城の「東北歴史博物館」に行ってきました。そこのレストランで古代米の食事をしながら外の景色を眺めていました。外は池になっていて数羽のカモがすーいすーいと水面に波紋を描いていました。

 その時、宙にサーと鮮やかなエメラルド色の紙きれのようなものが飛来してきました。そのあたりを何度か旋回したり、さっと姿が見えなくなったりする、その色の美しさに目を見張ってしまいました。一緒にいた友人が「あれはカワセミよ。」と教えてくれました。

 そのカワセミのエピソードをすぐ聞けることになるとは...。と思いながらメロリンさんの思いをより鮮明にイメージすることができた私でした。

 調べてみると、カワセミは北日本では秋冬に暖地に移動するようですが、この後東北歴史博物館に行っても見られなくなるのかなあ...。

というわけで、今回は二重に運が良かったのかも...

     次回をお楽しみに


仙石線 どんぐりさんのお便り

2017年07月23日 | お便り

          仙台駅の仙石東北ラインの列車風景

 どんぐりさんから、再度仙石線についてのお便りが届きました。以下紹介いたします。

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どんぐりより

 

 私の知人の鉄道に詳しい呑看鐵さんに、仙石線が昭和19年に戦時買収されて国鉄になる以前の、宮城電鉄だった時の路線図(つまりこのブログ)を見ていただきました。

もともと宮城電鉄は、細倉鉱山の亜鉛の電気分解から発電する余剰電力を利用して走らせた私鉄ですから直流電化だったのでしょう。

 呑看鐵さんは、下のようなコメントを寄せてくれました。

 

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 今でも仙石線は私鉄時代の直流電化を受け継いでいますね。東北線は黒磯以遠は交流なので、震災復興の一環として仙石東北ラインの愛称で東北線―仙石線の直通列車を設定した時は、電気方式を選ばないディーゼル車を新造したのには驚きました。交直流車より安かったんだろうね。

 戦後は長く首都圏国電の中古車を導入してきましたが、川越線の一部電化に際しては、逆に仙石線車両を持ってきたこともありました。

 

> 直流交流というのは線路によって違っているのですか。 

 ごく大雑把に言うと、直流電化は車両は安いが、割と短距離に変電所を設備しなければならない。一方交流は変電所間隔を長く取れるが、車両がお高い―というのが、これまでの電化の流れ。 

 多数の電車が走り回る大都市では直流電化。列車が1時間に1、2本などというところを電化するには交流が選ばれてきたわけです。最近はVVVFインバーター電車の開発で、この辺の判断が変わってきているようですが。 

 そんなわけで東北線は黒磯まで、常磐線は取手までが直流。取手―藤代間にデッドセクション(無通電区間)があり、藤代以遠が交流。最近のつくばエクスプレスは守谷で切り替えて、それ以遠が交流。 

 黒磯に比べて取手、守谷が東京に近いように感じられるかもしれませんが、石岡市柿岡(筑波山の脇ですね)に気象庁地磁気観測所があって、直流電車が走ると観測データが狂うんだそうです。よって、この辺は交流電化。可哀想なのは関東鉄道で、常総線、竜ヶ崎線は電化したくても、費用がかかる交流電化しか途がなく、ディーゼルのまま。

 

 ディーゼルは電気式といってディーゼルエンジンで発電機を回して、発生した電気でモーターを回す方式と、大型のトルクコンバーターで減速して車輪を回す機械式というのがあります。旧国鉄は機械式にこだわったようで、ちょっとガラパゴス化していたようにも感じますが、JRになって電気式を取り入れてますね。モーターなんかは電車と共通の部品が使えるらしい。 

 仙石線の車両は大型のバッテリーを積んで、電気ディーゼルハイブリッドと称していますな。話題の四季島も非電化区間は、このやり方で、電化区間はパンタグラフを上げて電車として走るらしい。

 

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 うーん...、分かるようなよくわからないような... 。でも、子どもの頃、汽車、電車、ディーゼルカー等と使い分けていた記憶はあります。

 現代では、モノレール等さらに進んだ技術による乗り物ができてきましたよね。音も振動も少なくなって乗り物に乗っているという感覚が少なくなってくるのかもしれません。

 それに比べると、D51等の機関車の迫力はすごいですね。昔、中学校の時でしたか、修学旅行の時汽車で出発したような記憶があります。わくわくしながらホームで待っているところへ、もくもく煙を吐きながらジャッ!ジャッ!ジャッ!ジャッ!と大きな重い音を出しながら近づいてきて、止まってからも「シューッ!ジューッ!!!」としばらくいろんな音や蒸気の収まる音をたてて到着を知らせている感じで、初めて間近で見た私はその迫力に大いに驚いたものです。

 でも、そんな様子は、いかにも頑張っている感じで当時の文明の進歩を見せつけられているような気がします。あまり簡単に、こともなくすぎると、当たり前で何も起こっていないような気さえします。そして「もっと、もっと便利に、」なんて気分になったりして....。 

 

 さて、先日、仙石東北ラインの列車の写真撮影のため仙台駅に行きました。

 仙台駅も大分リニューアルされていて、正面改札駅から表示を見ながら探していくと、一般の仙石線のホームとは違うホームでした。

 そして、一日の本数も始めの時とは違って随分増えているようです。1時間毎にあるようです。そして、なんと、女川までの直通(東京~女川)も一本あるようなのです。

ということは、関東から石巻まで直通で来ることが随分簡単になったということです

 素晴らしいことですね。これは、石巻の復興にあたって大変力強いことです。

 

 ちょうど、昨日22日から石巻を会場に、「リボンアートフェステバル2017」が開催されています。(9月10日頃まで)http://www.reborn-art-fes.jp/   http://www.reborn-art-fes.jp/about/

 実行委員長は、音楽プロデューサーの小林武史さん(ミスターチルドレンのプロデューサー)

 「アート・音楽・食を楽しむことのできる新しいお祭り」とのことです。石巻市街地と牡鹿半島に国内外のアーティストたちの作品の展示。様々なスタイルの音楽イベントの開催。東北のシェフ、国内外の有名シェフたちによる地元の食材を使った食事をいただける等、楽しい企画がいっぱいです。

 仙石東北ラインはフェスティバル参加への便利な足にもなることでしょう。


「オシロイバナに寄せて  花の色は女いろ」  メロリンさんのお便り

2017年07月16日 | お便り

    オシロイバナとアジサイ

 メロリンさんからお便りが届きました。

 以下、紹介いたします。

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 九州北部豪雨による被害者の方々に心よりお見舞い申し上げます。又、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 「オシロイバナに寄せて     花の色は女いろ」                 

         

 切り花の命が特に短く、花の値段も高く感じられる季節。 

  若かりし頃は百合にも牡丹にも例えられ笑って受けながしていたものなのに、今では虚しくも姥桜だって。しかし、ウバザクラの名には、年齢を重ねても尚色気のある女性という意味があり、女色の薄くなりつつある今、その例えを使ってもそう悪くはないかも知れません。 

 覚えているでしょうか。50年も前、全校集会で話された阿部徳郎校長先生のあの言葉を。

「女と言うものは…云々」                 

 

 昔、昔に、女はこうでなくてはならない等々、女についての思い込みの多い時代に、険しい女の道を歩いた女性たちの事をを今、思う。 

  大正生まれで、 19才で行き遅れだと言われながら嫁いだというその人の一生を身近に見ました。

 その人の母さんがオシロイバナが大好きだったと言っていました。それは明治時代のオシロイバナの事。

 

  今は亡き人たちに、オシロイバナを供える私。今日この頃。 

  本日は、赤いオシロイバナに青紫のアジサイを合わせました。

 

  オシロイバナは涼しい早朝には花弁を開いていて、暑い日中では花弁を閉じます。とても賢いなと感じる花。そして、夕方になると又花びらを開きます。 

 調べたところによると、夕方から咲き始めるらしい。夜に咲いて、ガなどの虫を誘う為。花言葉は「内気」「恋を疑う」「臆病」そして可愛い花には毒があると言われ、間違って口に入ると中毒症状になると言う。しかも、オシロイバナの花に見えるのは花びらではなく、がくにあたるそうです。 

 花瓶のオシロイバナは庭先に咲いたものを切り花にしました。が、外の花と連動して花びらを閉じたり開いたりします。

 始めの写真とこの写真で判るでしょうか?

 熱中症を防ぐ為にも私もオシロイバナから学んで暑い日中では静かにしていましょう。と真夏には思うものです。 

 美しい花には刺がある。バラの事。可愛い花には毒がある。オシロイバナの事。

 

  どうぞ、皆様も極暑の中お体に気をつけて、ご自愛して下さいませ。

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 ちょと前に描かれた原稿です。

 九州豪雨の爪痕もさめやらぬ内にまた、愛媛での大雨、被害が短期間の間に起こり、日本中何が起こるか予想のつかない状況になってきています。

 被害にあわれた方々には、今は先の見通しもつかずまた、毎日の生活もままならない状態もあるかと思いますが、一日いち日を身体を大切に頑張っていただきたいと思います。ボランティアの方々も入っておられるということなので、心強く感じます。

 メロリンさんの原稿を拝見して・・・・・・・

 「女色」ってどんな色?初めて聞いた言葉に反応した私!メロリンさんたちは子ども時代いわゆる男の子が使うものの一般的な色を「男色」、女の子が使うものの一般的な色を「女色」と言ったのだとか...。納得しました。...

 でも、最近の演歌にでてくる「女いろ」はどんな色なのかなあ..?と思っています。

 ところで、阿部徳郎校長先生のお名前を久しぶりに目にしました。

 そして、(メロリンさんはよく校長先生のお話を聞いていたのですね)と思いました。

 「女というものは~」という話は私には少しも記憶にありません。家庭でも一応言われたことはあっても、さほど意識せずにいたように思います。

 でも、どんぐりさん!覚えていますか?中3の高校進学が近づいてくる頃のことを。

 当時男女別学だった宮城県の高校で私たちは当然女子高に入ることになっているのに...、ある日、どんぐりさんだったでしょうか?Mさんだったでしょうか?私に声をかけたのは...。

 「私たち、石巻高校(男子校)に入りたいから、石高の校長先生に頼みにいくから一緒に行かない?」

 意外な声掛けに驚いた私でしたが当時私は特に男子校に入りたいとは思わなかったので辞退しました。

 そしたら、3人で行ったとか...。

 結果は...?ダメだったようです。みんなで女子高を卒業しました。

 しかし、それから〇十年宮城県も男女共学となり、「宮城県立石巻女子高」は「宮城県立好文館高校」と名前が変わりましたね。

 本当に長かったです。半世紀近くもかかったのですね。もし、当時すぐ共学になったら、中村雅俊さんと一緒に学ぶ....なんていうことにもなったかも....(ハッハッハッハ...)

 改めて自分たちが過ごしてきた時代の移り変わりを感じたところですが、それにしても「東日本大震災」は、夢にも予想できなかった出来事でした。

 私たちは、時代の変化を身をもって体験している世代なのでしょうね。

 オシロイバナにヒントを得てこれからの人生、身の丈に合わせてある時は美しく(?)開いたり、ある時は慎ましく閉じたりしながら過ごしていきたいと思います。(年齢を忘れて無理をしないように自重します...。)

 メロリンさん、オシロイバナと紫陽花の取り合わせ、素敵ですね。鮮やかで優しい雰囲気でほっとするような姿です。

 

 


    「夕焼けのパノラマ」    ひまわりさんからのお便り

2017年07月10日 | お便り

 ひまわりさんからお便りが届きました。

 なんて見事な夕焼けでしょう!ひまわりさんが撮影した写真です。

 以下、お便りを紹介いたします。

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 この度の九州地方豪雨による被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 何を信じて何を信じていないのか。神様を信じているつもりでも、意外に信じきっていない自分がいる。と気がつく。

  何かをもっともっと信じて安心して暮らせたらいいのになぁ。  

  7月3日の夕方は関東で空全体に360度の 夕焼けを見ました。 

  西の空に沈む太陽の周りは金色に輝き、反対側の東の空には、その反射した光が薄い紫色やピンク色に変化してバリエーションの色の美しかったこと!

 夕風は涼しく、薄着した身体中の肌をそよぎ、なんとも心地よい 夕べでした。  

  西の空に夕日を見ることはよくありますが、空全体に広がる夕日のパノラマは珍しいと思い、思わずシャッターを切りました。 

 夕焼けのメッセージは「明日は晴れる。」確かに関東は晴れました。 

 しかし、思いもよらず九州地方で豪雨による大被害が発生。この数日は他人事とは思えず心を痛めてニュースを見ることになりました。

 

 被災者は皆どこでも同じだと思いました。 

  雨が降り始めて一時間もしたらもう逃げ場がないという恐ろしさも想像してみました。

  それでも、なかなか豪雨は去りませんでした。 

  九州地方におきたような豪雨はこれから関東にも東北にも有りうると番組で話していました。これからは未来を想定内に収めて進んで行きたいものですね。なんとか。 

  大難が小難に、小難が無難にと。昔、昔、何処かの婆さんが言っていたっけなぁ。

  何時なんどき、何が起きても不思議でないこの年齢。

 今ほしいのは健康だけ。 

  こ の暑さの中で

 熱中症にもお気をつけてお過ごし下さい。

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  ひまわりさん、ありがとうございます。

 何気ない日常の中に、こんなに素敵な光景があるのだなあと自然のすばらしさを改めて感じさせられました。

 その反面、九州の豪雨災害では自然の恐ろしさをまたも突き付けられたような気がします。

 避難する暇もないような災害、他人事とは思えません。

 ボランティアも始まっていますが、そいう光景を見ると、健康って素晴らしいと思い、ボランティアができること自体が尊いなと感じます。

 数日の食糧の備えぐらいは私でもできますが、「いざ、避難!」となった時は、どれだけがんばれるのだろうか?とちょっと思ったりします。

 やっぱり、身体を鍛えることが必要!?なんて思ってしまいます。

 反対側の光景でしょうか?ずいぶんいろいろな表情を見せてくれるのですね。

 

 


        「宮城電気鉄道」     どんぐりさんからのお便り

2017年06月04日 | お便り

  どんぐりさんから珍しい内容のお便りが届きました。

 (私のパソコンのインターネットが繋がらなくてUPするのが遅くなってしまいました。)

 以下、紹介いたします。

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  先日、知人の蔵の整理を手伝った。蔵の持ち主は旅行の好きな方で、今年白寿を迎えた。旅先で集めた鉄道案内や絵葉書などが古い時代からたくさんあったが、中に宮城電気鉄道という小さい案内の紙があった。初めて聞く鉄道の名だったが、路線図を見ると、仙石線のことだった。仙石線ははじめから国鉄(JR)ではなかったのだ。

  

 個人の事業家によって設立された鉄道ということで、どんなドラマがあるのか非常に興味をそそられた。私が現在住んでいる町は西武池袋線という電車が走っているが、最初は武蔵野鉄道として設立されて、草創期にはいろいろなドラマがあったことがわかった。宮城電車鉄道には果たして…………。この案内の裏の運賃表を見ると昭和124月現行となっているので、その頃のことだ。 

 野蒜駅が東北須磨駅になっている。兵庫県の須磨になぞらえて、海岸線の避暑地にしたかったのだろう。松島海岸駅は松島公園となっている。瑞巌寺などのお寺をはじめ水族館もできていて、ホテルもいくつかある観光地だ。2年ほど前に野蒜のタクシーに乗った時、運転手さんが、以前西武に勤めていたことがあると言っていた。戦後の一時期、堤義明が、そのあたりを避暑地として開拓しようとしてやめたようだ。運転手さんはその頃その会社にいたということなのだろう。 

 さて、宮城電気鉄道はどんな素封家が立ち上げた鉄道か、気になってネットサーフィンして調べてみた。

 宮城電鉄は1922(大正11)年に山本豊次によって設立されたとある。もともとは細倉鉱山に勤めていたが鉱山で多くの余剰電力ができて、それを利用するためまず仙台から松島公園という観光地へ、そして金華山まで観光の足を伸ばすように敷かれたようだ。もう1枚見つけた観光案内には「松島金華山観光御案内」とある。 

 

  設立に寄与した高田商会の倒産や、関東大震災などの苦境を乗り越え開業したが、1944〈昭和19〉年に戦時買収私鉄に指定されて、国有化された。 

 宮城電鉄の特徴の第一は、東北線の下を通ったので仙台駅は地下駅になったことだ。いわば日本初の地下鉄だったということ。 

 第二はオール鉄柱架線柱とシンプルカテナリー架線の採用、色灯化された信号機の採用など当時としては他に類例を見ないほどのハイスペックを誇ったとある。最初から電化されていた路線は全国でも珍しく早かった。そんな宮城電鉄が国鉄に買収されてからは、東京のお下がりの電車が走るローカル線になるわけだ。仙石線の駅と石巻線の駅が違ったのは、そんなところに歴史があったのだと、今わかった。仙台に仙石線で行っていたので電車だったが、東北本線で修学旅行という時に初めて汽車に乗った。トンネルで窓を閉めるとか、すすの臭いがするものだとか、貴重な体験をさせてもらった。 

 宮城城電鉄についてあれこれ探すといろいろ面白かったが、興味があったら調べてみることをお勧めする。鉄男さんや鉄子さんがたくさん書いている。

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 どんぐりさん、珍しい資料などありがとうございます。

 私も、昔仙石線で仙台に通い、毎日仙台駅の地下通路を通っていましたが、そういう訳だったのですね。

 資料も、もうしばらく忘れてしまっていた古の香りがするような気がしました。

 せっかくなので、その他の資料も掲載いたします。

 資料の向きが変えられなないものが見づらくてごめんなさい。。

 


「震災から早6年ということは、母と暮らして5年半…… 」  どんぐりさんからのお便り

2017年04月29日 | お便り

 

       どんぐりさんのお母さんのホームでの様子    一番下の写真は節分の時の鬼の出現の様子のようです。

 今年は、東日本大震災から6年経過という年です。大震災以来、日本ではそれまではあまり考えられなかったような天災等が次々に起こっています。それぞれが思いがけない事態に遭遇して以来、平穏な暮らしにもどるようにと日々努力が続けられていることを私たちは時に忘れていることもあるかもしれません。

 どんぐりさんのお便りは、そんな日々の暮らしの一面を知らせてくれました。

 私たちが子どもの頃、気軽に笑顔で声をかけてくれていたどんぐりさんのお母さんのこの頃を綴ってくれました。

 以下に紹介いたします。

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 震災から6年がたった。ということは、父ががんで亡くなって、石巻から東京に母を引き取って一緒に暮らして5年半になるということだ。あっという間だった気がするが、5年半というのはけっこう長い。 

 今年で母は90歳になった。石巻から出たことがなく85年を過ごし、年を取ってから全く違う土地に住んでいるわけだ。我が家に来て最初の頃は、石巻に帰るとしたらどこでどう生活するかという話をしていたのは3年くらい。温泉地や旅行にも一緒に行ったが、すぐ行ったことを忘れるから、どれくらい楽しい思い出になったのかはわからない。

 石巻の実家を取り壊してからは、帰りたいとはあまり言わなくなった。帰る場所がなくなったからかもしれない。石巻のきょうだいにも電話しなくなった。

  次の1年間は、脚を交互に骨折して、救急車で運ばれ、手術・入院2カ月、リハビリ入院3カ月を繰り返した。入院するたびに認知症が進んで、昔の時代に遊んだりしている。

 その次の1年は、私も意地でも元気に過ごさせたいと思ったし、母も一皮剥けたように生活を楽しんだ。都合の悪いことはみな忘れて、青春の頃を思い出しつつ結構楽しく過ごしている。 

 石巻で昔遊んだ友だとか、一緒に仕事をした人だとか、ちょくちょく話に出てくる。そんなわけないだろうと、私は母の意識を現実に戻そうと話の腰を折るのだが、全然負けてはいない。認知症の人の話を、現実に引き戻さなくてもかまわないそうだが、娘としてはあまり認知症を認めたくはなくてよく母の話を否定する。厳しい娘になる。 

  デイケアに行くのが一番の楽しみという母であるが、私としてはやはり行動にだんだん制約がかかり、あまり出歩く気にはならない。まあでも、人より行動しているほうかな。 

 東京に来て、片目だけ白内障の手術をした。もう片方は黄斑変性症で、手を付けられないとのこと。いろいろ病院を代わったが、3回目の病院で手術をしていただいた。石巻にいたら手術はできなかっただろう。これだけは母を呼んで一番親孝行できたことだったと思っている。

  震災がなくても、母を引き取っていたと思う。でも、震災がなければ石巻に思いを残すことはなかっただろう。震災後の石巻には思いが残る。母が同じ家に居るかぎりは、毎日石巻を気にしてぶら下げて生活している気もする。石巻の母のきょうだいたちは今どうしているだろうかとも気になる。  

  母にたずねると、今は刺激が多くて楽しいという。デイケアに行くのが家にいるよりずっと楽しいという。ほんとうにデイケアの若者たちはよくやってくれて、感謝である。いろいろ介護の問題も見えてくる。母の世話をしなかったらわからなかったことだ。 

 この調子だと母はどんどん90歳を更新して長生きするだろうと、夫と話している。今は自分のことは自分でできているが、できなくなるのはいつ頃だろうか不安ではある。  

 石巻を離れて5年半、90歳の母は結構明るく楽しく毎日を過ごしている。

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 どんぐりさん、ありがとうございます。

 東日本大震災後に、お母さまを自宅に引き取って一緒に暮らすようになった方は、たくさんいらっしゃいます。今では高齢になられている方も多くいらっしゃいます。友達の話を聞くと、どんぐりさんと同じようなことをよく話しています。親子の姿というのは、年月とともに変わっていくのですね。それが親孝行の姿なのかもしれません。たまには?厳しくしたりというのも実の親子だからなのかもしれません。

 どんぐりさん、お疲れ様です。お母さまを大事になさってください。お母さまも安心なさっていることと思いますよ。