はたしてシステムは、使うためにあるのか、使われるためにあるのか。
何のことはない。店舗のPOSシステムを触って思ったこと。
POSシステムとは
販売時点情報管理システムのこと。(詳しくはリンク先のWikipediaをどうぞ。)
なにげなく目にしているコンビニやファミレスのレジのみならず、小売業全般に浸透しているシステムだ。
これらは煩雑な伝票処理や在庫管理、販売分析業務を肩代わりしてくれる。
しかし、それだけでは効率は上がらない。
使用者がシステムを熟知し、使いこなせなければ真価を発揮することはできないと思う。
突然何を当たり前のことを、と思うかもしれないがこれはかなり重大な問題だ。
勤務先の店舗が改装したことにより、POSシステム系が一新された。そのことにより、従来のシステムに慣れてしまっていた従業員は全員、新しいシステムを一から学ばなければならなくなった。時間をかけてゆっくりと変えられればいいが、そうもいかず、すべての機能を使いこなせないままで日々の営業が続いている。かといって、全員が知らないわけではない。きちんと使いこなせているスタッフもいるので、重大なダメージはない。
問題なのは、新しいシステムを受け入れず従来のシステムを良しとする気持ちが消えず、機能を評価しないことであり、使いこなそうとしないことである。
機械に使われるよ、という声が聞こえた。
心の中でぼくはそれを否定した。
システムは人のためにあるのであり、システムのために人は存在していない。ともすれば優秀なシステムの中に飲み込まれるという危機感は、まさに人としての本能からの危機感なのではないだろうか。システムを使いこなせるだけの思考・判断ができなければ、確かに人はシステムに使われる。
進化したシステムに負けないくらい、日々進化していかなければ。
人が作り上げた道具なのだから、使いこなせるのが当たり前。
考えてみたらコンビニのレジも裏ワザたくさんあったし。
ま、ぼくはそんなに触る機会もないんだけどね。
そうそう。
システムの評価をするにあたり、直観の効くシステムは良くできたシステムだと思うのだが、どうだろう?