ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

慶応四年正月三日夕刻、鳥羽街道の幕府軍(幕府歩兵組将兵と京都見廻組隊士)

2013-06-10 22:30:28 | Weblog

「八重の桜」はとっくに戊辰戦争突入してますね。
相変わらず大河の幕末モノ(戦国もか?)の考証に関しては細々ツッコミ入れてたらキリがないのでもう何も言いません。まあ今までよりは頑張ってるかなという感じですが。

まあ、ゲベール銃の装填動作(ところどころ変な点はあれど…あとスピード)や、実物のウェストリーリチャーズ銃、スペンサー銃の独特の装弾方法を公共の電波で見られるとは、良い時代になったと思います。
(ドラマ中で初めて尚之助さんがスペンサー銃を持ったとき、うっかりレバーをコッキングして未使用の弾丸を排莢してしまい、一瞬「え!?」って顔をするのを私は見逃さなかった)

今回は薩軍のモルチール(臼砲)が出てきたね…あれ、差火式!?ペイピースじゃなくて?

ドラマ中では会津藩/新選組の布陣した伏見奉行所周辺の戦闘が描かれましたが、その横の鳥羽街道の戦闘時の幕府軍勢を描いてみました。

左から幕府歩兵組の将校(歩兵差図役)と兵卒、そして変な格好のは京都見廻組の隊士です。

歩兵組士官は規定の陸軍笠をかぶり、レキションに立襟のチョッキ、ズボンにブローガンズという服装です。
腰には刀帯で吊った黒い突兵拵、右手のはスミス&ウェッソンモデル2アーミー拳銃(開陽丸からの引揚品などから推定・絵のはちょっとでかいけど)です。

兵卒は以前描いたチャールズ・ワーグマンのILNの挿絵と「陸軍歴史」内の絵図などからディテールを推定した軍装です。
官給の脇差が朱色なのは「銃隊式沿革図」の一部から。たぶん複数の業者(道中差売ってた商人らしい)が請け負ってたはずだからいろんなバリエーションがあったことでしょう。小銃はエンフィールドP1853ライフルマスケットです。

鳥羽街道での見廻組は銃がない刀槍装備で敵陣への最初の白刃突撃で多大な犠牲を出しましたが、生き残った者は倒され放棄された歩兵隊の小銃を拾い、逃げ戸惑う歩兵を叱咤しながら反撃の戦列に加わりました。

イラストの隊士は日輪前立付笠シコロの阿古陀形兜にフロックコート、義経袴に臑当、太刀を装備して拾ったエンフィールド銃を持っております。
笹間良彦先生の再現画を基にしました(そちらでは槍を持ってます)。しかし出典は書いておらず、おそらく明治期に描かれた絵巻「錦の御旗」とおもわれます。

隊士の服装は烏帽子に直垂陣羽織、端反り陣笠に襷掛けした小袖に義経袴+籠手と臑当装備、当世具足姿の者などゴチャゴチャです。
薩摩藩兵の半首笠の形状が現物と違うなど絵巻にはおかしな点もありますが、もし架空だとしても絵師は何を思ってこんな珍妙な組み合わせの軍装を描いたのか、とても気になるところです。

可能な限りの考証をモットーとしておりますが、今回の見廻組隊士の軍装は考証というよりインパクト優先でした。だってすごいよこのファッション!

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (たらこけし)
2013-11-08 21:39:25
 お初にお目にかかります。「たらこけし」と申します。このブログとpixivのイラストと知識を毎回楽しみながら吸収しています。
 現在はイラストの技術を磨きながら情報収集をしていますが、やがては自分も一旗揚げようと思っています。
 
 実は現在「紀州藩兵」の軍装についての情報を収集しているのですが、なかなか情報が集まりません。和歌山県立図書館の協力もあり『南紀徳川史』の同項目の複写はいただけそうなのですが、他に良い資料としてはどのようなものがあるのでしょうか?(できれば紀州藩兵の写真が載っている資料があればよいのですが…)

 初めてのコメントでいきなりこのような質問で失礼であることは承知しております。ですが、よろしければご教授願えないでしょうか。よろしくお願いします。
返信する
ようこそお越しくださいました (Ernest)
2013-11-14 20:25:19
はじめまして。御閲覧いただきありがとうございます(更新遅くてもうしわけありません…)

明治初期の和歌山藩兵ということでしたら、自分も目下情報収集中でございます。

太田臨一郎著「日本の軍服」及び「日本近代軍服史(こちらには階級ごとの軍帽の形状、肋骨服の飾りの素材や色なども書かれております)」には軍事顧問カール・ケッペンと和歌山藩将校の集合写真が載ってます。しかし写真が小さくて軍帽(烏帽子)の詳細や持っているサーベルの種類などの判別がつきませんでした。
もうひとつ、和歌山藩士・津田出(つだいずる)の若いころの写真が現存しているようです。公共施設のHPにありましたが画像が小さくて詳細がわかりませんでした(肋骨服を着ていることはわかります。あとは前述の集合写真と違い日本刀を所持しているようです)現在出版されている古写真集などには今のところ見当たりません(というか探してます)。
おそらく、県立博物館や図書館に古写真等収蔵されている可能性もありますが、仕事が忙しく足を運ぶことができない状態です。
すみません、こんな感じでお役にたてず申し訳ありません…。

>現在はイラストの技術を磨きながら情報収集をしていますが、やがては自分も一旗揚げようと思っています。
楽しみにしております。そうしたら相互リンクしましょうw
それでは、自分もまだまだ勉強していくつもりですので、これからもよろしくお願いいたします。
返信する
こちらこそ、よろしくお願いします。 (たらこけし)
2013-11-15 17:55:32
リンク出来る日が早く来るように頑張ります!w

現在の僕の収集状況ですが、太田氏の書籍は所蔵しています。また、和歌山県立図書館所蔵の『南紀徳川史』の「服制」の巻に階級ごとの図版があるらしく、複写を送っていただけることになりました。

同時に問い合わせもしたのですが図書館には他の資料は無いようです。

津田出本人の写真ですが、和歌山県庁の方によると、ご遺族所有との事です。一度だけ小さなパンフレットに載ったらしいですが、入手は困難との事でした。
返信する
ううむ (Ernest)
2013-11-15 21:33:01
ケッペン教官との集合写真の出典が書籍に書いてないんですよね。どっかの古写真本にでもドカッと載っていないもんでしょうかね…。

県立博物館には当時の演習風景を描いた絵画もあるようですが、実物はどうも見に行けないなあ…orz
返信する
複写が届きました。 (たらこけし)
2013-11-17 00:50:24
他藩と違って個人のオリジナルデザインがほとんど入り込む余地のない「軍服」だったのがよくわかりますね。一目で階級がわかって、初めて会ったときにも困らなくて済みそうですwww

デザインは同時期の戒服の中では一番バランスが取れているな。というのが率直な感想です。


ケッペン教官の方の資料にないものでしょうかね…
ドイツ語でググっても名前だけではヒットしない(ドイツでは)マイナー人物ですけど…OTL
返信する

コメントを投稿