ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

紅のチハ・九七式中戦車改。97式中型坦克(1948)

2012-07-21 22:04:50 | ミリタリーな話題
唐突にWWII以降のイラストでスマソ…。
中国、国共内戦時の1948年頃、人民解放軍下で戦う九七式中戦車(~改または新砲塔チハ)です。九五式軽戦車や旧砲塔チハなど、さまざまな日本戦車や兵器が両軍で使用されました。

中にはたった一輛で敵中を突破し、「功臣号」と名付けられたチハ改も存在します。
兵士の軍服はメンアットアームズ参照。1950年の閲兵式では戦車兵はソ連型戦車帽をかぶっていますが、鹵獲当初は日本の戦車帽をそのまま使っていたものと推測します。
グレーの綿入れ状の冬用軍服を着用してますが、国民党軍もほぼ同じものを着用しており、識別は帽章くらいでしかできそうにありません。
(あと国民党軍の帽子は耳当の裏の耳にあたる部分が輪状に縫われている。)
傍を行く歩兵は九六式軽機関銃に四四式騎銃を装備。鉄帽も米M1ヘルメットと並んで両軍で多く使われたようです。
現在、中国の戦争博物館に所蔵されているほとんどの日本軍兵器はこの国共内戦で使われた物でしょう。

ある意味、マレー戦以来のチハの軍功が最も輝いた時期ではないでしょうか…。

幕府騎兵組(慶応年間)

2012-07-08 00:17:02 | 幕末


幕府騎兵組(慶応二年)
文久三年より幕府陸軍の歩騎砲三兵が制定され、番方旗本より馬を養える余裕のある者で騎兵組が編成されました。
といっても長崎で西洋式の乗馬術を習った程度で、あとは文書のみを参考に編成を行ったようです(和鞍で洋式馬術って大丈夫なんだろか…)。
おかげで西洋騎兵とは似ても似つかない格好になりました。

右端:
慶応元年の錦絵「摂州須磨浦真景」及び勝安房「陸軍歴史」の騎兵陣笠の絵図から、慶応元~二年ころの騎兵組の軍装を再現しました。
歩兵とは違い、黒い三斎羽織を着ているようです。足元はダンブクロ。
錦絵では手綱が日本式の白と紺のストライプで描かれていることから、このころの馬装はまだ和式だったようです。当然馬も在来種の木曽馬。
「銃隊式沿革図」でも元治元年の和製洋装の陸軍将校が和鞍で騎乗している絵があります。

中央:
慶応三年ごろの騎兵組です。靖国神社の「騎兵練兵之図」より再現してみました。
フランス式伝習開始に伴って軍装装備ともにフランス式へと様変わりしました。
「ランス幟」による槍騎兵訓練のほか、徒歩でカービン銃を使っての下馬戦闘訓練も行っていたようです。

しかし、創設からその終焉まで、日本では近代騎兵の使い方があまり理解されなかったようで、戦役でも使番くらいの役割しかあてがわれていなかったみたいです。

ディテールは同年代のフランス軍軽騎兵用馬具を元に描いてみました。なお馬の正面の葵紋のバックルは想像です。
うっかりアラブ馬で描いちゃいましたが、実際には従来の日本在来馬に洋式馬装を使用していたようです。

左端は同図の慶応三年頃の騎兵差図役(中尉)です。右手にルフォショー軍用拳銃を持たせてみました。サーベルは1822年型軽騎兵用のものです。
兵士官ともにフランス軍のぶっとい騎兵ブーツを履かせてみました。これ、日本に輸出されてたか疑問でしたが、
同時代にフランスの傀儡政権であるメキシコ第二帝政軍騎兵が使ってたので日本でも使われていた思われます。

pixivでの初投稿作品がこの幕軍騎兵でしたが、初心に帰ってみました(?)。


軍鞍は慶応三年から軍事顧問デシャルム大尉の指導で日本の馬具業者が国産化を行い、軽騎兵用の物を製造したそうです。
それが各大名家や旗本の家へ納入されたようで、古写真では上田藩主の松平忠礼の洋式馬具での騎乗写真が残っています。

また、錦絵の「東都日本橋大隊練行図」では組合銃隊の将校が茶革製の洋式馬具で騎乗しているのを見ることができます。
リンク
ttp://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/yokoyama/nishikie/cover.html
の0380-35番、2ページ目で見れますよ!

将来的には重騎兵用の馬具製造も視野に入れていたようで、もし維新が遅れていたら鳥羽街道の薩軍関門へ
葵紋をつけた幕府軍のフランス式胸甲騎兵がサーベル振りかざして突撃かましていたのかも…(イヤイヤ