ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

幕府陸軍・八王子千人隊(慶応二年)

2012-08-31 09:31:36 | 幕末


慶応二年、第二次長州征伐に赴いたころの八王子千人隊の千人隊之頭見習(向かって左)と組頭の差図役下役(曹長)です。
出陣前に大坂で撮影されたと思しき古写真と、八王子の郷土資料館で展示されていた遺物を基に描いてみました。

幕末まで「八王子千人同心」槍奉行支配下の槍同心だった彼らも安政年間より洋式砲術の訓練を受けました。
慶応年間には陸軍奉行支配下となってミニエー銃隊として組織されておりました。(遺品では海軍モデルのエンフィールドP1858短小銃が現存。これは官軍の丹波山国隊が甲陽鎮撫隊から鹵獲したものと同じで、この辺に新撰組とのつながりのようなものを感じます)

二人とも、毛織物っぽいレキション羽織にフュスト(チョッキ)の和製洋式軍装です。


八王子千人隊組頭、二宮光鄰。リストでは千人隊差図役下役と表記されており、曹長クラスであったことがわかります(組頭級は下級士官~下士官とされていたようです)。
手に持っている軍帽、おそらくは韮山頭巾の派生型のようですが、詳細は不明です。ディテールも謎で、写真の情報からできる限り再現しました…。



肩印は現存品を参考にしました。展示物はこのほか、独特の標目の入った韮山笠や英軍式に近い形状の葵紋入り胴乱(表面の仕上げを見る限り国産コピーではなく輸入品を改造したもの?)もありました。



千人頭見習の陣笠は陸軍笠ではなく、それ以前の家格だけを色で識別するタイプ(布衣以上=表黒裏金・御目見以上=表藍裏金。正面に金輪抜)のようです。レキションや革靴は複数の方の写真からミックスしました。

第二次長州征伐では小倉藩、久留米藩、肥後熊本藩兵らとともに小倉口の戦闘に参加し、長州藩の高杉晋作、山形狂介率いる奇兵隊と戦いました。(あまり戦闘には参加せず、損害は病死者のみ)

千人隊自体は戊辰戦争には参加することはありませんでしたが、離反して彰義隊に加わったり、官軍への日光無血開城の根回しを行ってから責任を負って切腹された方がいたりと、彼らも維新の波にのまれていきました。

モンテカッシーノのクマと兵隊たち(1944)

2012-08-25 22:09:43 | ミリタリーな話題


第二次世界大戦、ヨーロッパ戦線の重要な局面であった1944年のイタリア・モンテカッシーノの戦いの面々。
大爆撃と計四回の攻撃作戦でようやく陥落した山の上の修道院は、戦後見事な復興を成し遂げ今日の我々に元の美しい姿を見せてくれます。

右から
・インド第4歩兵師団第9グルカライフル連隊第1大隊のグルカ兵。ククリナイフが特徴的な、ネパールの山岳民族で編成された英軍伝統部隊。
第二次、第三次攻撃作戦に参加し、大きな犠牲を払った。
軍装はP40バトルドレスにP37装備。Mk.II皿型ヘルメットという典型的イタリア戦線のイギリス軍野戦装備です。他隊と違うのはククリの装備のみ。銃はアメリカ製トンプソンM1928A1サブマシンガン。

・ドイツ空軍第1降下猟兵師団のファルシルムイェーガー。同年2月からカッシーノ防衛に参加し、最後の戦闘で撤退するまで戦い続けた。
ダークイエローで塗られた降下ヘルメットにスプリンター迷彩降下スモック、ジャンプブーツに空軍熱帯用パンツとシャツ姿。

・アメリカ第34歩兵師団第100大隊(ハワイ出身の日系二世で編成)。第一次攻撃へ参加。激戦にさらされて大きな犠牲を払い、別の作戦へ転戦した。「バンザイ突撃」伝説がある。
一般的なM1ヘルメットにM41フィールドジャケット、マスタードシャツ&パンツにP38レギンスの典型的な米軍装備です。銃はやっぱりM1ガーランド小銃。

・ポーランド第2軍団第22砲兵弾薬輸送中隊。最後の攻撃へ参加。同軍団の第5歩兵師団”クレソワ”はこの戦闘に終止符を打った。
ポーランド軍の鷲章がついたイギリス軍と同様のベレー帽にP40バトルドレス。米英連合軍に参加したポーランド軍は基本イギリス軍の軍装、装備を使ってました。違うのは記章だけです。

・ヴォイテク二等兵。オスのシリアヒグマ。同中隊のシンボル。25ポンド砲の弾薬輸送に尽力した。その後中隊のマークに制定される。
頭のギャリソンキャップは本当は被っていない。

ポーランド軍使用ウィリスMBジープは塗装/マーキング共に同戦線、同軍団の別の車輛を参考にしました。

ETVで偶然見た実在したポーランドの兵隊クマ、ヴォイテクのドキュメンタリーを見て描こうと思い立ちました。落書きのつもりでしたが記章類や装備を調べるうちに時間が経ってしまいました…。

第一次ブルランの北軍m@ster アイマス17歳トリオ

2012-08-03 20:22:44 | ミリタリーな話題


1861年、アメリカ南北戦争は第一次ブルラン(南軍表記マナサス)会戦時の北軍将校の軍服いろいろ。まだ南北戦争が”ブルー&グレー”じゃなかったころのお話。
765プロの17歳トリオにモデルをやっていただきました。

真の着ているのが連邦軍大尉のフィールドドレスです。サーベルは1850年型歩兵士官用。
帽子はフォレージキャップに夏用のハヴロック(日除け布)をかぶせたもので、この布は戦争初期以降は雑巾などの代わりとして姿を消しました。
この会戦では南軍の将校もほぼ同じ紺色の軍服で戦っています。

雪歩は海兵隊士官で、1859年に制定されたアンドレス姿に白ズボンです。慶応四年、神戸で岡山藩兵をいじめた時もこの軍装だったようです。持っているのは1851ネイビーリボルバーの初期型。
歩兵はシングルブレストのフロックを着用し、ペリー来航時とほとんど変わらないバフ革たすきベルトにP1842滑腔式マスケット銃装備でした。
この後ミニエ弾使用のP55/61ライフルマスケットに換装されるようです。

春香さんは南軍…でなくて北軍ニューヨーク州第11ファイアズアーブの将校軍装で、北軍なのに灰色です。
兵卒は緋色のフェズ帽に赤シャツ姿でした。(暑かったらしく上着を着ない兵が多かった)
ニューヨーク州第7ミリシャも灰色の軍服だったり、インディアナ第11連隊も灰色のズアーブだったりと割と北軍部隊にも灰色軍服は多くおりました。

左手に持ってるは当時の折り畳みスプーンです。手持無沙汰だったから…。ちなみにこの時代のお菓子のレシピは今日にも残っており、
かぼちゃのプディングやコーンブレッドなど割とおいしそうなものがあります。春香さんに作ってほしいです…でもハードタックは勘弁な!


戦闘そのものは南軍が勝利し、武器と装備を放り出した北軍と、北軍がすぐ勝つだろうと思って見物に来ていた市民が目と鼻の先だったワシントンDC方面にごった返して潰走しました。
しかし南軍も疲弊していてワシントンDCまで攻めることはありませんでした。

結局、この戦闘は敵味方の区別の付け辛さなど問題になったようで、南北両軍の軍服のカラーリングが統一に進む原因となりました。

あと、一番おどろいたのは南軍拠点の丘の家でお婆さんが寝たきりのままで、北軍の砲撃で亡くなっていることだった…。