ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

灰色の竜宮小町 南軍テキサス騎兵M@ster

2012-11-30 18:29:22 | ミリタリーな話題

南北戦争時のテキサスの騎兵隊軍服各種。アイドルマスター2より、765プロ竜宮小町メンバーに着ていただきました。

あずささんの服装は第2騎乗ライフル連隊サミュエル・J・リチャードソン大尉の古写真から再現。黒いスロウチ帽にジャガーの毛皮でできたメキシコ風ズボン”ヴァケロ・パンツ”とホルスター二挺分を着用しています。手には外火後装単発式メリルカービン銃を持っておりました。(柄に関してお察しの通り、中の人ネタです…)

伊織は騎兵少佐で、ダブルブレストのシェルジャケットを着ています。灰色スロウチ帽の星バッジはテキサス州兵特有のものです。44口径のレミントンニューモデルアーミー拳銃と1860年型騎兵サーベルを装備。

亜美の着ているのは同中尉のものでバターナット染めの茶色いフロックに規定のケピ帽を被ってます。伊織と同じサーベルと銃身を切り詰めた前装雷管式水平二連ショットガンで武装してます。

ホルスターに収まってる物含めると全部で6挺の銃器を持ってる計算に…

南北戦争時のアメリカの騎兵は基本重武装です。サーベル以外にほぼ全員が各種カービン銃(他にも南軍では狩猟用の水平二連式散弾銃がよく使われた)とリボルバー拳銃で武装してました。当時のヨーロッパ騎兵に比べると服装の地味さに相反して火器の充実ぶりが目立つように思えます。

戦闘時には下馬してそれらの銃器で戦うのがメインでした。マナサス会戦でのJEB・スチュアート率いる南軍騎兵隊の北軍への追撃や、ブランディステーションでの北軍ペンシルバニア第6騎兵連隊の突撃あたりが数少ない騎兵らしい騎兵戦闘だったようです。



竜宮小町メンバーなのにあずささんがショートでないのは、元ネタの写真の人が黒ひげモッサリでボリューム的に合わなかったためです…。

越後の六竅砲 ガトリング砲と長岡藩兵(明治元年)

2012-11-18 21:22:37 | 幕末



官軍との”小千谷談判”決裂により戊辰戦争にやむなく参加するも、
名将・河合継之助に率いられて活躍した長岡藩兵と、日本で初めて使われたガトリング砲(当時は野砲扱い)です。

士官、兵士共に古写真から軍服を復元しました。士官は甲冑用の袖無し陣羽織を筒袖ダンブクロ(暗くてよくわからないけどマンテルっぽくも見える)の上から着ており、肩にはでっかい合印をつけています。大刀はバフ色っぽく写っている剣吊りベルトで吊っているようです。
合印と韮山笠の文様は別の長岡藩士の写真から。

銃士の被っている陣笠は岩手のほか、埼玉県にも現存するバケツ状、釘抜紋入りのものです。
写真では砲兵用エンピール銃を持っているようですが、絵では同じくスネル商会が持ち込んだシャープスカービン銃にしてみました。

輸入されたガトリング砲は諸説ありますが、絵では南北戦争でも使われた58口径の1862年型(ホッパー弾倉式)を描いてみました。
”コーヒーミル”と揶揄されてたのがなんとなくわかる気がする…。  

グラン・チャコの鉄棺 ヴィッカース6t戦車A型(1933年)

2012-11-10 21:35:41 | ミリタリーな話題


久しぶりの更新となりますね。

今回の絵はボリビアとパラグアイが石油埋蔵”推定”地域グラン・チャコを巡る、チャコ戦争(1932~35)時にボリビア軍が投入したヴィカースMk.E Type-A(双砲塔型)軽戦車です。

ヴィッカース・アームストロング社「国土拡大?その程度の願い、造作もないことさ。さあ、僕と契約して戦車と戦闘機を買ってよ!」
とばかりに、ボリビア政府はヴィッカースA社と航空機と戦闘車両の購入契約をしたそうです。


しかし熱帯地域に無理やり戦車を投入した結果車内は4~50℃の暑さになり、おまけに随伴歩兵という概念もなかったため、
パラグアイ軍のクルップ75mm野砲や手榴弾などによるアンブッシュや、倒木を使ったトラップで鹵獲されるなど散々でした。
そのほか、カーデンロイド豆戦車も使われ、パラグアイ側もイタリア製CV33を投入したようです。

絵ではハッチ類は閉めきってますが、実際には暑さに耐えきれずハッチ全開で戦闘に臨み、パラグアイ兵に手榴弾を投げ込まれて損害を出しました。

歩兵は両軍の主力だったマウザー1924ライフルを装備、
イラストでは軍帽とズボンはオリジナルですが軍服はWW1のアメリカ軍のお古のM1912に、襟に兵科色の万朶の桜(?)を付けてました。
足元は茶革のアンクルブーツかサンダル履きで、たまに米軍みたいなキャンバスレギンスを履いていたようです。

ブエノスアイレス条約によって係争地グラン・チャコは結局パラグアイ領となりましたが肝心の石油は出ませんでした。
不毛の地を得るためにパラグアイは4万人近い死者をだし、ボリビア軍も5、6万人を失っています。(ボリビアはどうにか新境界線内にパラグアイ川沿岸があったことで、大西洋の出口を得ることが叶いました)

失ったものばかりで得るものが何にもない、そういう戦争の典型ですね。その割には両国とも本気でやり過ぎな気もしますが。