背嚢を背負い、小銃を肩に、火線へ向かって行進し、ヤンキーの兵士を殺す。
南北戦争時のアメリカ南部連合軍歩兵の大尉と伍長。1863年前後の一般的な歩兵の軍装を再現してみました。東部の北ヴァージニア軍を想定してます。
南部連合では半フランス式の軍制を布いておりましたがヤンキーの兵糧攻めであらゆるものが不足してました。そのため支給の軍服は短いシェルジャケットが主流でした。
グレーの軍服の生地もバリエーションが多く、茶色がかった色から薄い灰色までたくさんありました(羊毛と染料の慢性的な不足だったようです)。綺麗なものはほとんどなく、
パッチで補修されて継ぎはぎだらけだったようです。
本来はケピ帽やフォレージキャップが支給されるはずでしたが戦場での南軍兵は半分以上が私物のスロウチハットなどを着用してました。ベルトは良く見る「CS」プレートではなく、より一般的だった無地のフレーム式バックルのものです(このタイプは通称「ウィッシュボーン」)。
またこの兵士の雑嚢と水筒は戦場で鹵獲した北軍の支給品です。また軍靴の不足で裸足の兵隊が多く、これも鹵獲に頼ってました。背嚢はほとんど支給されず、私物あるいは希に支給の毛布を体に巻いています。
小銃はオーストリア製M1854ロレンツライフルマスケット銃。慢性的銃器不足の南軍ではリッチモンド工廠製などの自主生産品では供給が間に合わず、
エンフィールドなどの輸入品、スプリングフィールド銃などの鹵獲品が主力でした。ロレンツ銃は南軍だけで10万挺も輸入されておりました。
大尉は将校の規定の軍装で、金線付きのケピにオーストリア織の袖章のついたフロックコートなど、フランス軍の影響を受けてます。しかし、袖章や兵科色の省略やより動きやすいサックコートの着用など、戦場でこんなしっかりしたナリの将校は稀だったでしょう。
ベルトは標準的な将校用ですが、中にはサムブラウン式の肩掛けベルトがついたモデルもありました。
左手にはシリンダーの中心から散弾が発射できるリボルバー、フランス人のお医者さんが設計したル=マット拳銃を装備しています(なぜか幕末の会津藩にも渡ってる謎の拳銃)。
ケピは1862年モデルの、水色の兵科色がトップ部分に定められたもので、なんか北軍と配色がかぶるよ…。
刀剣は合衆国軍M1850ソードを装備しています(北軍と同型)。南部製のサーベルは粗製で、これも戦前モノや輸入品、鹵獲品が多かったようです。
北軍は甲鉄砲塔艦の製造や有色人種部隊の活躍など、特筆すべき点が多いですがやはり南軍の愛国心や貧乏ながらの奮闘ぶりにも引きつけられるものがあります。
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