ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

陸軍笠/羽織・第一次資料編?

2010-10-24 22:49:35 | 幕末
何の気なしに国会図書館のデジタルアーカイブ除いてたら
勝先生の「陸軍歴史」おもっきり読めました。しかも上下巻前頁!!
そして陸軍笠の表記もありました。
以前紹介した階級表と比べますと、色の表記は大体あっています。が、笹間氏の本にあった差図役/頭取の笠の「叩き塗」という表記が見当たりませんでした。
立石斧次郎の写真に写っている歩兵差図役頭取の陣笠の表面にはザラザラしたような加工が施されているのが確認できます。この加工は個人の好みだったのか、はたまた他の階級の笠も同じ加工がほどこされていたのか…。

頭/奉行クラスの陣羽織の表記には羽織の色や紋の指定はありません。どうもレキションから甲冑用の陣羽織とかもオッケーだったみたいです。
(ただ、銃隊式沿革図には黒レキションに白紋をつけた歩兵頭の絵があり、こちらは太田氏「日本近代軍服史」に当てはまります。)

1889年陸軍省総務局版、勝安芳「陸軍歴史」下巻468~470ページに笠/羽織の表記があります。 

こんなレアな本がタダ読みできるなんて!そしてなんで今までチャックしなかった!みんなも今すぐアクセス!(誰に言うておる)

ちょっとのぞき見



ちなみに巻末の方に各兵科の支給品リストがあり、フランス式装備の供給状況も拝めます。そして騎兵にはカービン銃のほかにピストルも支給されてたみたい。
もっと読み込もうと思います。

靖国偕行文庫いってきた。

2010-10-14 14:42:49 | 幕末
数日前、靖国偕行文庫へ行ってきました。
目的は幕末期の洋式調練の操典を閲覧することです。
幕府歩兵組で使われていた「歩操新式」と上田藩士赤松小三郎が翻訳したイギリス軍の歩兵操典「英国歩兵練法」などの一部が閲覧できます。
実はこれらの洋式調練は今から6年ほど前、ある団体の企画で実際に受けたことがありまして、現在、一部の時代祭などに出ていらっしゃる長州/薩摩藩兵リエナクターの方々もこれと同じものを伝習されています。
自分も歩操新式のオランダ式の小銃動作を叩きこまれ、装填~発射や右向ケ-廻れなどの号令もいまだ覚えています。今は土日に休みをとるのが難しいため休止中…。
その中でも、歩操新式の銃剣術の部分と英国歩兵練法内の戦列展開の部分がややあやしくなってきましたので、複写申請させていただきました。

文庫そのものはなんか、靖国という大きな神社のものとは思えないほど素朴で、私の出身大学の図書室にも雰囲気がにていました。

で、びっくりしたのが、英国歩兵練法…申請したら、コピーとかラミネート保護されたものじゃない、実本そのものが出てきた…これにはちょっとチビりそうになりました。だって、博物館級のものをこの手に取れたんだもの!
150年前の本にも関わらず、活字がきれいで、日本語のあやしい私でもやや読みやすいですww。
一部抜粋。著作権的にもセーフだよね。たぶん。





いぬ美ウーランで響誕生日おめでとう!

2010-10-12 20:43:03 | お絵かき


響さんお披露目です。

最初は普仏戦争時のフランス軍ウーランにしようとしても筆(シャーペンだけど)がノらず。
手元にあったオスプレイのWWIIポーランド軍本を手にとってティン!ときました。もはや軍装以外の選択肢はなかった。
かつてヨーロッパ各国に存在したポーランド式騎兵ウーランの末裔であるポーランド槍騎兵隊です。
第二次世界大戦の戦端が開かれたドイツ軍のポーランド侵攻の際に活躍しました。とはいってもドイツの装甲部隊に無謀な突撃をかましたわけでなく、TKS豆戦車や7TP軽戦車などとうまく連携して活躍しました。そもそも、自動車化で有名なドイツ軍だって完全に部隊を装甲車両で固められていたわけではないので、歩兵部隊だけでいたところをポーランド軍の槍騎兵に奇襲され、敗走したりもしてます。
ウーランの伝統お家芸ここにあり!それ以前にはポーランドには「フサリア」重騎兵もありましたっけ。騎兵大国!ウーランのチャプカ帽は制帽と野戦帽でデザインが継承され、今もなお残っています。

ポーランド軍は襟章で所属部隊を識別しています。この襟章と旗は第6槍騎兵連隊のものです。響のイメージカラーである浅葱色に一番近かったってだけですがね。ちなみに肩の階級章は兵長です。
三連マグポウチといいマウザー系列の小銃といい、意外とドイツとポーランドって近い存在なのですね。そういえばポーランド軍も一部でドイツのM18シュタールヘルムぽいものを使用してますし。

カーキ色っていいですよね。この季節。

響の飼ってる名犬(?)いぬ美ですが、「通常の三倍」とされていますが、まあこのくらいのサイズでしょう。たぶんPが背負えるギリギリのサイズだと思います。セントバーナードの模様のバリエーションに四苦八苦でした。元来猫派な私ですが、こうして描いてみると大型犬もかわいいですね…。

おととい描いてる途中で気付きましたが、ちょうど響の誕生日だったのですね!ノリで描いてたので知らなかったよ。
急きょ、ポーランド語で”お誕生日おめでとう!”と描きましたよ。おめでとさん!

発描きのなんくるねえ

2010-10-10 00:33:16 | Weblog


またもアイマスですよ!アイマス! でもまた軍服着てますよ。
一目でどこの国のものかわかるあなた!たぶんその時点で病が進行しています。一生あなたのミリオタは治らない!
我那覇響ちゃんは初めて描きますね。アイマス関連の落書きはめちゃくちゃやってますので初めてじゃないんですが、ピクシブ投稿予定絵でははじめてですね。
亜美真美「……」
雪歩「……」
真「……」
ミンナゴメンナサイ、近いうちに描きます!それまで待って!とりあえずピクシブに全アイドルを登場させるのが目標です。

奇兵隊の影に隠れた勇戦

2010-10-03 00:03:01 | 幕末


大河ドラマなどではほとんど取り上げられない第二次長州征伐の側面を描いてみた。
高杉晋作率いる奇兵隊は主に小倉口で戦っていたため、そっちばかりがクローズアップされております。「四境戦争」というくらいですから、実際は戦線は四か所ありました。
その中でも幕軍が岩国を目指した芸州口の最初の戦闘を取り上げて描いてみました。

慶応二年六月十四日、芸州口における幕府軍先鋒、彦根藩の武士とそれを迎え撃った長州軍諸隊のうち、維新団の兵士です。

芸防境界の小瀬川を渡ろうとした彦根藩の軍勢は山間部に陣取っていた長州諸隊からの猛射撃にあい、高田藩とともに敗走しました。
芸州口は結局、幕府歩兵隊と紀州藩兵が穴を埋める羽目になりました。

維新団は被差別身分から徴収された銃隊で、遊撃隊に属していました。藩当局からも白い目でみられていましたが、実戦では他隊と同じ水準の装備を誇り、活躍しました。
銃は藩がグラバー商会から購入した前装式のエンフィールドP1861短ライフル銃、装具の詳細は不明ですが、
イギリス軍の1859年型胴乱に56年型雷管入、スネークバックルベルトにヤタガン銃剣を装備させてみました。銃は南北戦争時の南軍の中古品なので、装具も「CS」南軍のでも良かったかも。
ちなみに、このイギリス軍の装具も慢性的物資不足だった南軍の一部で使われています。考証的にはセーフかと。

また軍装は上から下まで黒ずくめだったようです。「一、衣装黒、筒袖黒、立付共紐の事。一、笠惣黒塗りの事。」笠の詳細もわからないので、とりあえず韮山笠にしました。
黒く塗った菅笠でも良かったかも。

飾りも許されず全身黒服のみという服装差別が、皮肉にも彼らの軍装を後世に記録させることとなりました。
彼らはこの戦闘で実力を示し、それまでの差別的な待遇から一転、一目おかれる存在になったといいます。
金色の飾りも禁止されてたみたいですが、このスネークバックルは実用品だぞ。飾りじゃない!だからおk。

翌年、視認性の低さもあってか他の長州諸隊の軍装もほぼ黒色に統一されています。


いっぽうの彦根藩は戦国以来の伝統の赤備えをもって前線へ臨みました。その結果、前装施条銃で固められた長州諸隊の攻撃に大損害をこうむり、鎧かぶとを棄てて後退しました。
火器の装備は長州側の鹵獲品の記録に残っていますが、火縄式だった十匁筒を雷管式に改造したものや、球形弾を布にくるんで押し込む旧型ライフルのヤクトビュクス銃などで、その数も少なかったといわれています。でも大砲はアメリカ製ボートホウィッツルがあったそうな。

絵は管打ち十匁筒を描いてみました。現存する管打ち和筒は小筒ばかりなので躊躇しました。長州軍のエンフィールド銃とは火力の差が大きいですね…。
兜は日根野頭形、胴は仏胴というスタンダードな当世具足にしてみました。前立ては井伊家陪臣を現わす銀の天衝です(家臣は金色の天衝、藩主は金の脇立てになる)。
背負い旗は赤地に金で名前が書いてあり、彦根藩士共通っぽい感じのものです。(天衝みたいに家臣と陪臣で変化があるのかは分からず)

芸州口はほぼ戦役の最後まで戦闘が続き、彦根藩も緒戦の雪辱を果たさんと奮戦しましたが、結局、休戦が決まり、幕府軍は撤退しました。

実は幕府陸軍関連の資料もあるので、そっちもまとめてみたいものでござる。