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戊辰戦争時の新政府軍兵士(明治元年) 赤ゲットの起源

2012-02-11 21:26:08 | 幕末



会津戦争も後半くらいの頃の官軍兵士。

左は薩摩藩の喇叭手で、半首笠(骨董ではトンキョ帽の一種に分類?)にマンテル姿。駄荷袋を背負ってスナイドル銃を携行しています(機関部をよくみないとわかんない…)。
首に手拭いを巻いているのはたまに武士の写真にみられるモノを参考にしたものです。
ラッパは会津の記念館にのこるものを参照。
鳥羽街道において、薩摩藩兵最初の射撃を伝達した英式喇叭譜「Commonce Firing(撃ち方始め)」によって戊辰戦争の火ぶたが切られました。

右は所属不明のどっかの藩兵です(合印がないと敵味方の識別すら困難でした…)。中古軍服のサックコートに白熊毛頭をかぶってますね。
ディテールは下記に記す「越中島景色之図」に描かれた軍装のほか、古写真や現存する実物資料を基に描きました。

熊毛頭は広く言われているような「薩摩=黒、長州=白、土佐=赤」という識別は実際には無かったようで、士官特有の被り物でもなかったようです。津藩では殿様や士官が被っていますが丹波山国隊のように一隊揃いで被っていたり、変な流行だったみたいです。
明治元年九月、東征軍将兵に防寒用のブランケットが下賜されました。赤や緑で黒いラインが二本入ったデザインのものが確認できます。「赤ゲット」の始まりです。


小林清親の「絵日記」に描かれた新政府軍の帰還兵。熊毛を被ってますね。


「越中島景色之図」より。おそらく調練中の新政府軍兵士(どこの藩かはこの絵からでは不明)を描いたもので、赤/白熊を被った兵士や韮山笠に洋式軍帽、もしくは無帽に鉢巻の兵士がごちゃまぜで行進してます。
これは維新後間もなく、明治三年12月に軍服が制定する以前に描かれたものと思われますが、東征時の新政府軍の軍装の状況を垣間見ることができます。マンテルに交じって赤や紺のブランケットにひもを通して纏った兵士が見えます。

すみません。幕末軍装としてのブランケットを紹介したところで、今回はここまで。それでは!