ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

スペンサー・リピーティング・カービン!…のゴム銃。

2012-05-21 21:33:26 | 幕末
ちょっと最近のお買いもの報告。



スペンサー・カービンです。立体だ!




実はこれ「共榮」http://www.kyoei.ecweb.jp/という木製品メーカーさんで作っているゴム鉄砲なのです。
現物は実物より少し小さめにできております。


本来この機関部左側には担銃環と呼ばれるスリングベルトのナス管を通すリングが付いておりますが、本製品は小さい&めっちゃ軽いので無問題です。



輪ゴムをリボルビングする機関部と、ゴムを引っかけるリアサイトっぽいもの。装弾数は実銃より-1発の6連発。ダブルアクションなので、引き金を引くだけで弾が出ます。


しかし、このようにレバー部も撃鉄もちゃんと可動するので、こだわりのある方(主にオレ)は発射前に撃鉄をハーフコック→レバーをコッキング→撃鉄フルコックで発射!という正規の手順を踏みませう(そして指で撃鉄を降ろす…)。
(ここがウィンチェスター銃などと違う点。撃鉄とレバーが連動しないのです。ちなみにスペンサー社は1869年に同じ連発レバーアクション銃メーカーのウィンチェスター社に併合され、短い一生を終えます。”西部を征服した銃”に負けてしまうのです)

初めてゴム銃というものを触りましたが、撃ってみて輪ゴムが見えないくらいの速さで飛ぶのには驚きました(え?お前の動体視力の問題だって?キコエナーイ)。

なぜ会津の袖印と一緒に写しているのかと言いますと、この共榮さんが会津若松に在り、本製品は来年の大河の主役・新島八重さんに因んだものだからです。

・Spencer Repeating Carbine
 1863年に製造が開始、アメリカ南北戦争時に合衆国陸軍騎兵でシャープスやスターなどの後装単発銃とともに使用されました。また、重心の長い歩兵銃タイプも一部で導入されています。
このスペンサーやヘンリーライフルなどの当時の連発銃の弱点として弾丸をチューブ状に縦に並べる構造があげられます。
これは装弾数が多い代わりに薬莢の長さが制限されてしまい、後装単発銃に比べて弾丸の威力が劣ってしまうことにありました。そのほか、初期の連発機構にもまだまだ技術的限界もありました。

南北戦争終結後、アメリカ陸軍はこの過渡期の連発銃を棄て、P1863ライフルマスケットを後装化した単発式・高威力の50口径スプリングフィールド1866トラップドアを制式銃として採用します(1865年からスプリングフィールド銃の後装化が始まる。M1865・M1866を経て1873型がその後使われる。歩兵型は二つバンドの短ライフルタイプ)。
しかしこの選択が仇となり、1876年、M1873トラップドアカービンで武装していたカスター将軍(降格されて当時中佐だった)率いる第7騎兵連隊はリトルビッグホーンの戦闘でインディアン連合軍に敗れています(諸説あり)。
ボルトアクション5連発のスプリングフィールドM1892(クラッグ・ヨルゲンセン)が採用されるまで、アメリカ陸軍ではこの後装式単発銃を主力としていました。

一方でそのおこぼれに預かったのが動乱期の我が国でした。南北戦争終結で余剰となったこのスペンサー銃は、外国人武器商人の手によって日本国内へ高額でばら撒かれました。
佐賀藩、薩摩藩などの官軍雄藩のほか、佐幕派では郡上凌霜隊や米沢藩、庄内藩が使用しております。そして会津鶴ヶ城籠城戦で山本八重子さんが使用したことでも知られています。

しかし、前述のとおり、銃自体が高価なこともさることながら、その金属薬莢は当時の日本の技術的限界で国産化できず、連発銃であっても弾丸を大量に供給できる代物ではなかったようです(弾倉機構を潰されて単発に改造された物もあるほど)。”最強の新式銃”では決してなかったという事ですね。


これをリアルでモデルガン化しようもんなら50000は確実に超えますね。いや100000台いくな…。
なので、立体を5800円で手に入るのはうれしいもんです。

共榮さんではそのほか現代銃から火縄銃まで、さまざまなゴム鉄砲がラインナップされています。
機種によっては決して安いものではありませんが、いかがでしょうか?


『木製品の共榮』さま
http://www.kyoei.ecweb.jp/

Marching Through German! M4A2”Шерман”(1945 ドイツ)

2012-05-15 21:15:56 | ミリタリーな話題


So we sang the chorus from Moscow to Berlin,
While we were marching through German♪

1945年頃のソ連軍M4A2シャーマン(76)Wです。レンドリース法によってアメリカから75mm・76mm合わせて4000輛以上のA2シャーマンがソ連へ貸与されてました。
各親衛戦車軍やポーランド戦車軍団(西側の自由ポーランド第2機甲師団もM4A2を支給されてた)などで使われております。
機械的信頼や車内の居住性などの点で評判は良かったようです。

もちろんM4だけでなく、M3リー中戦車にスチュアート軽戦車(この両者は評判が悪かったようです。そりゃドイツ戦車相手だからな)。イギリスからはチャーチル歩兵戦車やバレンタイン戦車がレンドリースされました。

そしてブレンガンキャリアやM3スカウトカーなどの装甲車、ウィリスMBジープにフォードGPA水陸両用ジープ、スチュードベーカーUS6トラックやDUKW水陸両用トラックなどのソフトスキン/輸送車両がソ連へ送られました。

エアラコブラやウォーホーク、ホーカーハリケーンなどの航空機も忘れちゃダメですね。

アメリカの工場でソ連兵向けの軍靴が製造され、カナダの工場では戦車兵の着るツナギを作っていたそうです。食料も大量に送られました。
すげぇなアメリカの工業力…。っていうかイギリスって他国に兵器供給するほど余裕あったのね…。

ソ連軍のシャーマンは、なぜかハッチから顔を出す無線手がウシャンカを被ってる確率が高いです(謎)。
右端の女の子はバヤン(ロシア式ボタンアコーディオン)もってますが、資料探しに苦労した覚えが…。
”聖なる戦い”でも歌ってるんでしょうか。

あと、Marching Through~ってのはシャーマンつながりです。

佐賀藩のアームストロング砲(慶応四年)とスペンサーカービン

2012-05-04 11:00:51 | 幕末


アームストロング砲です。
幕末モノなどではだいたい名前の登場する有名な大砲です。
日本では薩摩藩と佐賀藩が輸入しており、佐賀藩が2門のコピー製造に成功しました。実戦で実際に使われたのは6ポンド砲2~4門(いずれも佐賀藩。国産砲があったかはかは不明)だったようです。

イラストは佐賀藩製のコピーのほうではなく、輸入使用されたと思われる本家イギリスのアームストロング6ポンド野戦砲のほうです。

口径は6.4センチと小さく、射程、貫通力には優れていても榴弾効果は四斤砲などより劣っていたみたいです。
世間で言われるような新式の最強砲では全然なかったようです。

本家英軍の艦載砲も故障が多かったようで、構造はまだまだ過渡期のものでした。
西南の役くらいまで明治陸軍でも前装式の長四斤山砲が主力だったことがそれをうかがわせます。

アームストロング砲がすごかったのは威力ではなく、日本の一外様の藩がこの新式技術をコピーしたという事実でしょう。

というか写真が佐賀藩製のものしかなくて、本家のほうを海外サイトで探しまくりました。砲架に複数のバリエーションがあるみたいです。
(ニュージーランドのリエナクターが使ってました。ウラヤマシス)

佐賀藩の砲兵も描いてみました。薩摩藩のハップリそっくりの銃陣笠を被っています。服装は昭和期の絵図「佐賀藩上野砲撃図」や幕末期の古写真、書籍では「日本近代軍服史」「武器と防具 幕末編」など複数を参考にミックス。洋式軍服に足元は和式の脚絆と草鞋です。

佐賀藩と言えば(?)スペンサー騎銃ということで歩兵も描いてみました。こちらは筒袖ダンブクロに同じ銃陣笠、
スペンサー銃専用の10本入りマガジンケースとカービン銃用スリングを装備しています。

佐賀藩はこれら新式装備でかためていたように思われがちですが、実際には多くの藩と同じように、
主力は前装式のエンフィールド銃、火砲は四斤山砲が主でした。

たとえば、スペンサー銃のリムファイア式金属薬莢は当時の日本で製造ができず、100%輸入に頼ってました。
(前装銃のハトロンやシャープス銃のリネン/紙製薬包は可能でした)
スペンサー銃を扱う兵には再三にわたって弾薬を節約するようにお達しが出ていたようです。せっかくの連発銃なのに…。
あと、この銃はレバーアクションではありますが、ウィンチェスター銃のようにハンマーとレバーが連動しません。
レバーを起こす前にハンマーをハーフコックにしておかないと暴発する危険があったようです。
http://www.youtube.com/watch?v=iCeXtqUgMJo
↑歩兵銃タイプの射撃動画。



こないだの休みを使って八王子にいってきました。
ちょっと収穫があったので、発表できるかもです。