ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

アンデスのコラセロス

2011-02-18 20:38:12 | ミリタリーな話題
休みが明けるのはやいよ~!(泣
とか言いつつ更新。



ボリビア領内の硝石鉱山をめぐる太平洋戦争が勃発した1879年、地上戦におけるペルー・ボリビア連合軍の数少ない勝利となった”タラパカの戦い”。
かつてこのブログの記事でも紹介した軍装資料より、ボリビア軍の胸甲騎兵”エスコルタ”大隊とグレーの制服が特徴的なインディペンデンシア大隊の歩兵を描かせていただきました。
胸甲とヘルメットはどうも普仏戦争時のフランス軍のものとほとんど同じようで、ボリビアの国章のようなものが付けられています。
写真も残ってはいますが、この部分は光で反射してほとんど見えません。また三色旗の付いた槍を持った写真もあります。

この部隊の戦果ですが、詳しい解説がなく、不明です。せっかく見た目はいいんですけどね。

インディペンシア歩兵大隊はグレー地に緑の襟・袖、側線のシェルジャケットに垂れ布付きシャコー帽(背の高いケピ?)という制服でした。
腰の布は官給品かは不明。ボリビア軍は制服の色が部隊によって違い、赤・黄色・緑の派手派手しい制服も散見されます。
腰のブリキみたいな箱は胴乱の一種みたいですが、蓋がないので転んだりしたら弾をぶち撒けそうですね。
軍靴を履いていますが、翌年のアリカの戦闘ではボリビア兵のほとんどがサンダル履きだったようです。

銃はフランス製M1874グラース歩兵銃です。これは紙薬莢式だったシャスポー銃を金属薬莢式に改良した単発ボルトアクション銃でした。しかしあまり数はなかったようで、ボリビア軍の数の上での主力はレミントン・ローリングブロックライフルだったようです。

太平洋戦争での各国の小銃を見てみますと、マルティニ・ヘンリー(ペルー軍主力)、ウィンチェスターM73(ペルー、チリ軍騎兵など)、コンブレインM74(チリ軍主力、ベルギー製だが一部コピー生産)など、まさに1870年代銃器の見本市です。(マウザーM71も使用された可能性あり)

このころの単発銃は1880年代までトラップドア、レバーアクション(単発式フォーリング・ブロック)・ボルトアクションなどがせめぎ合う時代でした。それが淘汰されて連発式ボルトアクションが世界の主流になるわけですが。当時の日本は明治十年(1877年)に西南の役でスナイドル銃が主力として使用され、明治十三年に国産式村田銃へと更新していく時代ですね。
下手にフォーリングブロック式などを国産化してたら、明治日本の銃砲史はさらに険しいものだったに違いない…。

肝心の太平洋戦争の戦史の話してねえじゃねえかゴルァ!!と思われた方はサーセン。というかこの戦争を解説した詳しい文献見当たらないのですよ…。「世界戦争史」とか総合的な書物にしか記述がないようです。戦史に関しては日本語で解説したとても詳しいホームページがたくさんあるので、興味がわいた方はぜひ検索してみましょう。

ここまでアルパカへの突っ込みはなし…。いや、リャマは騎乗できるみたいだし、アルパカも…なんて思って描いたら馬みたいなデカさになったでござる。参考資料ではアラビアンホースに乗ってました。ちゃんと。

”魅力的な格好の、日本の士官たち”

2011-02-11 21:53:59 | 幕末
唐突ですが、こんな絵を描いてみました。



領事館のイギリス人の警護に騎馬で江戸へ同行する武士。お勤め前に顔なじみの下番と話してたら、どっかの異人の少女が興味深そうにこちらを見てる之図。
「ジャパン・パンチ」1865年10月号、写真家F.ベアトやイギリス公使館員を護衛する騎馬の武士の一団の絵から服装を再現してみました。恐らく外人警護の専門組織「別手組」所属の侍だと思います。刀槍、そして馬術にも長けた集団だったようです。当初は饅頭笠に義経袴でしたが、居留地という土地柄でしょうか、
服装に真っ先に変化が現れたようです。平陣笠にダブルブレスのフロックマンテル、足はブーツを履いております。腰に肩掛け式のホルスターを下げています。外国人一人につき武士五人がつき、居留地外の仕事や旅行の遠出のたびに騎馬で警護しました。中にはパイプかタバコホルダーを加えてたり、
ブランデーのフラスクのようなものを持ってたり「おまえら仕事中だろ!」と突っ込みたくなります。

左端のおっさんは同時代のILN,1865年1月号に描かれた「横浜の日本兵」正体はおそらく神奈川奉行所の下番で、農民を徴募して蘭式調練を施した兵士です。銃は国産コピーのゲベール銃(雷管式滑腔マスケット銃)を装備してたようです。独特のマークの入った韮山笠に筒袖、立付袴を履いています。
ソケット式銃剣鞘は農兵刀とともに腰へ差しています。農兵刀は歩兵と同じく、「百姓より身分がちょっと上」という証であって実用品とは
ほど遠かったようです。
彼らは慶応二年に奉行所の役人であった窪田鎮章や古屋佐久左衛門らとともに駐留イギリス軍より調練を施され、のちに幕府歩兵組(第12連隊など)へ編入されています。


居留地には恐らく、外国人商人や外交官の家族もいたことでしょう。変な髪形をして刀を差して、それでいて洋服を着て銃を持っている。現代の同じ日本人から見ても奇抜な当時の武士の格好を、外国人の子供たちはどのように見ていたのでしょうか。

建物の屋根部分だけ見えてる背景は、オスプレイの影響だと思いますw。

アイマス×ウェスタン落書き・銃器解説

2011-02-07 21:55:42 | お絵かき
なかなか更新できませんですみませんです。
なんとか新環境にも適応してきました。今も新しい絵を描いていますが、前回pixivにうpしたアイマス落書きの中で、
銃器に関してコメントをいただいたので、ここで詳しく書かせていただきます。


西部の無法者っぽい亜美真美。姉妹/兄弟アウトローっていうのも結構定番ですよね。
亜美真美の服装は南北戦争時にミズーリで悪名を馳せ、後の列車強盗団ジェシー=ジェイムズギャングを生んだ
”クァントリルカンパニー”のゲリラ兵や南軍民兵、開拓時代のビリー=ザ=キッドの手配写真をもとミックスしてみました。
真美の持ってる銃はシャープス・New Model 1863カービン銃です。南北戦争で北軍騎兵が使い、その中古品が海を渡って日本の戊辰戦争時に諸藩で
使用されました。紙製薬莢と雷管で発火する初期の後装銃です。
威力、命中率は高かったそうで、戦後に金属薬莢に改良されたものがバッファロー撃ちなどに使われたそうです。
映画では「続・夕陽のガンマン」のクライマックスでイーストウッド扮する名無し(ブロンディ)がウォラック扮するトゥコの首つり縄を
金属薬莢のM74シャープス銃で撃ちました。よーく視てみてください。ヘンリー銃じゃないんですよ!
そのほか、シャープス銃は数々の西部劇に出演しています。あと、肝心のNM63タイプは時代劇「隠し剣 鬼の爪」で出てきます。

亜美の銃はその筋の方には有名な、南北戦争時に多用され、日本にも持ち込まれてコピー品が桜田門外の変でも使われた疑いのあるコルトM1851ネイビー(ブラスフレームタイプ)となっております。腰にもう一挺ありますね。



ガンファイター春香さん。これも当時の古写真をもとに服装を再現しました。色は適当につけましたが。
右手の銃はコルトM1860アーミー。44口径でゴツくて素敵。はやくどこかモデルガン出してくれ!
左手の銃はウェッソン&リーヴィット・ドラグーンリボルバーという珍しい品です。1850年頃製造。
「ウェッソン」はあのスミス&ウェッソンのウェッソンです。
少数が南北戦争で使われてますが、なんと日本の骨董屋さんにも出回ってました。「江戸時代後期」だそうです。やっぱり幕末期にどっかの武士が入手したようですね。

さて、解説が必要なのはこれくらいか。今度描いてるのはまた幕末系です。元ネタは「ジャパン・パンチ」ですが、考証の参考にするには荷が重いんじゃなかろうか!