ポンコツPAK-ブログサイド-

ミリオタ、エルンストによるブログです。
pixivでダラダラ描いてます。

突発企画!ブリュネ砲兵中尉軍服考

2010-12-19 21:20:26 | 幕末


pixivでの同志、桜丘さまへのレスポンス企画でございます。そして多くのブリュネファンの方々へも捧げます。

以前、ブリュネ中尉の軍服を実際に自分で絵でも描こうと思いましたが、袖のオーストリア織で挫折、それっきりとなっております…。
なので、自分が調べたものを羅列させていただきます。(ネット上で拾った画像も多いのでちょっとおおっぴらなコンテンツ化は難しいですけどね…)
オスプレイの普仏戦争のものでも砲兵士官のものがないので、結構難儀しますよね…。

フランス軍と言えば赤いケピに赤いズボン、という印象がありますが、砲兵科は他兵科と違い、ケピのトップもズボンも全部紺一色。また仏軍将校用ケピはストラップが金色です。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c4/77b1da2048dc8bf7b09e3e1ac47accf6.jpg
(すみません、コピペしてください↑)
上衣の肋骨服はハンガリー式軽騎兵が肩に引っかけてるペリーズというもので、騎乗砲兵も同様でした。
現物の写真がなく、その代り比較的鮮明に写っている集合写真がありました。

色ですが、ブリュネの写真をよく見ると、袖口の色が制服の色と違うように見えます。

近衛砲兵用のドルマン(ペリーズの下に着る短上衣)の画像がありますが、袖は赤ですね。ペリーズもこれと同じ配色だった可能性があります。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/aa/8c94349cbcee170b7845d22580b1a08a.jpg
派遣前の顧問団の集合写真で着ていたのはこのドルマンですね。


ズボンの2本の側線ですが、部隊によって金色と赤色があるようですね。ブリュネ氏の写真ではどうも袖章と同じ金色に見えます。
ですがメキシコ戦役時の同僚を描いたスケッチでははっきりと紺色ズボンに赤色の2本の側線が描かれています。これは配置転換後に変わった可能性があるな…。


ブーツの形状は画像をよーーーく見てみると

膝のあたりに少し特徴があります。上から3枚目の集合写真もそうですが、胸甲騎兵のものに似てます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/8f/67bade06009cc495c7d144301493fe90.jpg
ちなみに胸についてる微章、星型のものはメキシコ戦役で受勲したレジオンドヌール勲章。クラスはシュヴァリエでリボンは赤、真ん中のパーツは時期によって月桂冠と王冠がありますが、ブリュネのものは真ん中に穴があいてないので後者と考えられます。もう一個のメダルはわかりません…。
いまだちょっと漠然としてますね…。フランス語でいいから普仏戦争くらいのフランス軍のまとまった資料本がほしいよ~!オスプレイじゃ薄いんだ!
すんません!こんなところでお許しくだしあ!

ディクテイター・オブ・ピータースバーグ

2010-12-17 19:11:56 | ミリタリーな話題

映画などでは戦列戦闘が有名なアメリカ南北戦争ですが、いっぽうで新兵器も多く出現しました。海や河には装甲板に旋回砲塔を積んだ軍艦が現れ、地上では鉄道兵器が出現しました。
1864年、ピータースバーグ包囲戦で北軍が使用した、13インチM1861沿岸用臼砲(The Dictator)を木製台車に搭載した列車砲です。でかい砲弾は約100kg、砲弾だけでも4人係りで輸送します。

また、要塞/軍艦用パロット砲を木製装甲で囲んだ本格的な列車砲や複数の装甲列車まで登場しました。もちろん兵士の高速輸送にも鉄道は活躍しました。
早い段階では1862年、サベージステーションの戦闘で南軍が32ポンド海軍砲を転用し、鉄道レールを張り合わせて突撃砲のような使い方で戦ったのが最初といわれています。
南軍ではコットンを装甲代わりにしたものまで出現したようです。
残念ながら多くの車両は写真やイラスト、伝聞だけで詳しいスペックが解らないのが残念でなりません。

このころ、戦争は塹壕の戦いになり、戦列戦は姿を消しました。なかなか戦線を破るのが難しかった時代、その為に大口径の要塞砲を野戦で使うという発想から列車砲という兵器が産まれたようです。新兵器、戦争の規模といい、後の第一次世界大戦を思わせますね。

1864年は日本では元治元年。池田屋事件や天狗党挙兵などの時代です。ようやく洋式歩兵がデビュー戦を飾ったくらいでしょうか。


ディクテイター、と聞いて真っ先に「ブルー・スワット」を連想するひとは…いねぇか。

官軍の精鋭ぜよ!

2010-12-04 23:27:59 | 幕末


戊辰戦争へ参戦した土佐藩兵で、その中でも主力を担った迅衝隊の軍装を描いてみました。
薩長土肥と新政府軍の三番目に入る土佐藩も、実は戊辰開戦時、ミニエー銃はあっても軍装が整っておりませんでした。
京都進発時にようやく筒袖の上着が揃えられた程度で、甲州勝沼・江戸開城以降になって舶来の洋装が取り入れられたみたいです。

ひとりは徒士小隊司令大砲係だった方の、慶応四年四月に江戸で撮影された写真を参考にしました。上着は詰襟のフロックコート、下は縞の切袴、足元は脚絆に革靴です。足元がスコットランドのハイランダー連隊っぽく見えるの自分だけ?
手にはP1861短エンピール銃を持っています。
母成峠の戦闘でスペンサー騎銃を使ったのが有名ですがどうも土佐藩自身が購入したものでなく、作戦時に限って特別に貸与されたものと思われます。
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/30/393623fa68bafc98809830833b5e3348.jpg
↑参考元の写真です。縞のデカパンみたいに見えますが、ひざ下丈の切り袴ですねw。かっこいい!
おそらく今市や母成峠などの北関東の戦闘では下も動きやすいズボンに履き替えていたものと推測されます。

士官の方は会津の博物館に現存する、鶴ヶ城攻防で戦死された迅衝隊3番隊長、小笠原謙吉の遺品より再現しました。胸ポケットつきのフロックコートにズボンです。
拳銃も残っており、フランスかベルギー製のルフォーショー拳銃のダブルトリガー型を装備してたようです。
被りものは遺物がなく、韮山笠は明治期の絵巻や堺事件を報じたフランスの絵新聞を参考(ただし、描者は現場をみておらず)。
士官の陣笠は以前に専門家の先生に聞いたものを参考にしております。(こればかりは私の記憶頼りでございます…)
肩印は遺品や写真などに多くみられる土佐藩の合印です。アメリカ軍の階級章みたいですね。この肩印はどうも江戸開城以降に改定された識別章で、それ以前は肩に短冊状の合印を錦切れと一緒に下げていました。土佐は京都進発以降、結構ころころと合印や身分章階級章などが変わっており、この白い肩印が最終的なものと思われます。
戦時に小荷駄裁判役として従軍した樋口真吉の写真も残っていますが、彼は肩印と錦章以外なにも付けていないようです。

「龍馬伝」終わりましたね。個人的にはその後の海援隊士や龍馬の関係者のことをちょっとさらってもいいんじゃないかって思いましたが、良い作品でした。