Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書1月号」から  その1

2021年12月29日 20時18分45秒 | 読書



 ベッドの中で目を通したのは「図書1月号」(岩波書店)の9編。後半は今晩。

・[表紙] シェイクスピア      杉本博司
私は写真術を操る技術者として、真を写すとは如何なることかを探求してきた。真は手強い。迂闊に手を出すと深傷を負う。私は真を炙り出すために虚を使うという手法を編み出すことにした。虚の向こう側にこそ真は垣間見えるはずだ。私はこれからの二年間、二四回にわたって虚像を披露したいと思う。第一回はシェイクスピアにご登壇願った。“無心の花と見せかけて、そこに潜む蛇におなりなさい”(『マクベス』より)

 司修の絵画作品が終了し、今回から始まった表紙は杉本博司の写真作品。

・「晩年」とはいつのことか?    関川夏央
回想には寂しさがともなうが、やむを得ない。‥では晩年は? 自分の晩年はいつからだったのか。‥いつからが自分の晩年だったかは、死ねばわかる。そのときまでは、同時代を生きて、その全盛期と晩年を送った人たちの人生にふれて、たのしむのがよい。

・〈対談〉近代小説の文体、そして文学の可能性  兵頭裕己 松浦寿輝
前近代以来のメディアの慣習を引き継いだところに、作者の輪郭の曖昧な鏡花物(泉鏡花の作品)もある。主体の輪郭が曖昧だから、言葉の暗喩的な連鎖がそれ自体でストーリーを紡いでしまったり、なにか変な「もの」をこちら側に呼び入れてしまったり、そんな独特の小説世界も生まれる‥」(兵頭)
「それ」(エス)があった場所に自我が生成する。――「それ」がかつてあった(過去形)とところに自我が成立する(現在形)とフロイトは言ったわけですが、いったん自我という主体の輪郭が明確になるや、「それ」は抑圧され、意識の外に放逐されてしまう。何かそういうものプロセス自体を「ものがたり」に乗せられたらおもしめいだろうかと思いました。創作者として、言文一致的な秩序からどうやってのがれようかと、あれこれ試行錯誤しています‥」(松浦)  

 この対談はよく理解できないので、キーとなるであろう所をとりあえず書き写してみて理解できれば、と思ったが結局理解できていない。

・沖縄との五〇年      柳 広司
2015年9月8日に「私は戦後生まれなので沖縄の歴史は良く知らない」と平然と嘯いた菅官房長官(当時)を恥じ入らせる歴史小説を書くことはできるはずだ。逆にそうしてこなかったのは歴史小説家の怠慢といわれても仕方がない。(「週刊ポスト」連載の「南風(まぜ)に乗る」)。1952年から72年までの20年間。

・ルッキズム        栗田隆子

・自伝的グラフィックノベルの愉しみ    原 正人

・キリンの斑と雪と土器   阿部成樹
(寺田寅彦は)‥浮世絵の色彩を白黒に還元し、画面に残った黒斑と線の配置や相互関係だけを論じるという奇手に出る‥。同時に、彼が飼い猫の黒斑模様を細胞分裂のパターンに(強引に)比較していたことが頭をよぎる。モノクロームの線と面への還元が、寺田流のかたちの分析作法なのかもしれない。とはいえ猫の斑点を見るときとは違って、彼は浮世絵に精妙な線の音楽を聴くことを忘れない。そうした音楽的な線の存在が、歌麿以前と以降の浮世絵を分かつものだというのだから、この分析は単なる批評ではなく様式史の試みともいえる。(浮世絵の曲線、寅彦随筆集第2巻)」
また寺田に言わせれば、当代の未来派の絵もまた斑点と線の構成に賭けている点で比較可能なのであり、その分析の適用範囲は広い。

 何十年も前に随筆集のこの部分は読んだが、私はまったく記憶がない。読み飛ばしていたのか、理解できずに頭から消えていたのか、多分両方であろう。

(寺田寅彦、中谷宇吉郎、中谷治宇二郎は)は、かたちの解釈学とでもいうべき思考の系譜を紡いでいる。その根本には、かたちを内容とは別個の単なる器ではなく、むしろ意味の泉と見る姿勢があった。そのかたちの読解のある次元においては、科学の武器である分析の歯が立たないという難問も見えてきた。寅彦によれば、科学の思考と芸術に見出されるかたちの思考には、重要な共通点がある。それは、両者が「思考の実験」に支えられているということである。

・北杜夫と躁うつ病とZ旗     髙橋 徹
北は、躁うつ病というものは、天然自然の現象で、環境に左右されるものではないとも述べており、自身の躁うつ病(双極性障害)が内因性の病態(心因性ではなく、より生物学的な素因に基づく精神疾患)であることを強調している。北が躁うつ病を公にしたことが、精神疾患の啓蒙に一役買ったことは間違いない。
 



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