現代アートというべきコーナーは、会場の最後のほうであるが、まずはそちらから目に付いた作品を取り上げてみた。
ペー・ホワイトの微細な不規則な動きを演出しようとした「ぶら下がったかけら」(2004)がまず目に付いた。カラフルな小さな紙の円盤を複数枚連ねて糸で多数吊り下げている。円盤にはハート状のやはり紙の切り抜きが貼りつけられている。いたって単純な構造であるが、多数重なることで室内のかすかな空気の動きで不規則に動く。この動きに目を誘導しているのだが、私はこのカラフルな床に映る影に目が吸いよせられた。この影も不規則に動く。影はモノトーンで、カラフルな円盤と対照的であるが、動きが意識の上では強調される。かすかな風に動く影が規則性を排除し、見飽きることがなかった。
人は単純な規則性、1分と立たないうちに同じパターンの動きを見せてしまうとすぐに見飽きる。しかし流体の動きは全体としては規則性があるが、分子レベルに細分化すると動きは不規則に見える。これを視覚化する試みは多く試みられていてこの作品もその流れの中に置くことができる。割と成功した作品の例ではないかと思う。
時間や運動を作品に内在化させ、鑑賞者にそれを自覚させる。そして時代の先端の工業製品を利用して時とともに古めかしくなって、飽きられ、必然性が感じられなくなる数多の作品とは違い、人の動きやわずかな気温差による空気の動きを視覚化して鑑賞者の目を惹く数少ない作品として好感が持てた。吊るし方にも工夫があるように感じられた。
オラファー・エリアソンの光の反射には球体の規則性があるはずなのに規則性が感じられない構造を獲得している「星くずの素粒子」(2014)などは忘れがたい印象を受けた。
ステンレス製のパイプをほぼ球体に見えるまでに規則的に組み立て、半透明のミラーを取付け、スポットライトを当てて、ユックリと球体を回転させている。
このような作品を写真で紹介するのはとても難しい。今回の図録も暗い中での撮影であるが、私が見たときは明るい証明の中で、ミラーの反射光がよりきらめいて鮮やかで、細部まで見つめることが出来た。また本体と影は、私は同一の大きさに表現してほしかった。
多分半透明のミラーの取付け位置の関係なのだろうが、光のスポットが不規則に現れて回転して通り過ぎていく。ここでも規則的な変化を排除して不規則な運動に変換して、見飽きさせないようにしている。人間社会では規則性に頼りたがる組織性というものが強くなり勝ちである。規則性・規範性が強くなれば個々の人間を規格化したがる。そのような人間社会に対して、個々の人間は決して規則性には靡かないという側面を鑑賞者に自覚させてくれる仕掛けだと私には思える。芸術というものが本来、国家や企業やのもろもろの組織とは相容れ難い最たるものであることをあらためて認識させてくれる作品に思える。