今月号で目を通したのは以下の8編。いつものとおり覚書。
・【表紙】天神来遊図 加藤静允
・あとがきの告白 小山内園子
・近代の宿業を生きた作家 安藤 宏
「太宰治は不思議な作家で、世の中が平和なときは自殺未遂を繰り返し、戦時中は明るく健康的な作風を貫いている。戦時体制は太宰の自己卑下のスタイルとある種、奇妙な親和性があり、・・いかに「自分」がダメであるかを強調しながらしたたかに時代に対応していく姿が浮かび上がってくる。・・・戦中を戦後に接ぎ木しようとし、それが無残に破綻し、絶望を深めていく様相を読み取りたい。」
・「鵲の渡せる橋」と日本の七夕伝説 冨谷 至
「日本における七夕説話であるが、私には腑に落ちないことがある。七夕を題とする歌を多く載せる「万葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」などには、橋渡しの役を担う鵲は登場せず、彦星が舟で、もしくは浅瀬を徒歩で銀河を渡るのである。・・・理由は日本列島への七夕の伝説伝来が二つの流れを持っていたことに起因するのではないか。一つの水流が朝鮮半島であり、「懐風藻」の詩である。(もう一つの水流は遣唐使による)多くの漢籍が日本に将来される。」
「かささぎのわたせる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける(大伴家持)。この歌は「新古今和歌集」「冬歌」の部に入っており、配列に疑問があるとされる。低下を初めとした「新古今和歌集」の編者たちには、もはや七夕と鵲橋は結びつかなかった。」
・扇の話、裏おもて(上) 福井芳宏
・ツェッペリン飛行船の戦争と平和 清水 亮
「ローカルな地域の歴史のかけらを集めて掘り下げる実践は、単に日本史というナショナルな歴史の一部を保管する作業ではない。グローバルな世界史を、生活する地域から捉え直す可能性をもつ。・・地域に息づく歴史のかけらを拾い集める街歩きは、歴史を〈自分ごと〉として経験し想像する方法のひとつだ。」
・ショックドクトリンとアメリカ例外主義 西谷 修
・台湾にいったい何があるというんですか? 清水チャートリー
「数えきれない「物語」が取り繕うこの世界に疲弊した人がいるのであれば、「言葉を紡がない音の世界」で少しの間、自分の心と向きあい、ごまかしなく生きてみるのも良いのではないだろうか。」
・佐藤正午さんの孤高 田中裕樹
・じゃじゃ馬の結婚 前沢浩子
「近代の資本主義はすべて商品化し、人々を欲望に従って自由に売買をする契約者へと変貌させていく。その価値観のン課は市民階級から始まる。「じゃじゃ馬ならし」のような笑劇にさえも近代市民社会の胎動は感じられるのだ。」