Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「沖縄 ことばを失うこの一カ月」(大石芳野)

2016年10月23日 22時05分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世界平和アピール7人委員会のホームページに以下の文章が掲載されている。「沖縄」がおかれている今の状況が何に起因しているのか、私たちは真摯に受け止めたい。受け止めないことには、起きていることを評価できない。多くの方に考える縁としてほしい。私も勉強したい。

 沖縄 ことばを失うこの一か月     大石芳野

 言葉を失う…という言い方があるが、甘えないでちゃんと表現しなくてはと思う。けれど、どう言葉に表したら自分の気持ちを伝えられるのか途方に暮れるときがある。まさにいま、私はそう感じながら廊下を行き来して言葉を見つけようとしている。こうした気持ちに陥っているのは、沖縄の人たちが短期間のうちに見舞われた事態を考えると、単にヒドイ!というだけではすまない。沖縄ばかりでなく私を含めた日本全体に深く関係していると思うからだ。
 先ず、「辺野古違法確認訴訟」の判決が三権分立ではないことだ。多くの人たちが苦言を述べているように、福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長はソウル、台北から沖縄の距離を挙げて米海兵隊が駐留する地理的な優位を挙げ(九州各県との距離には触れないで)、辺野古が唯一だとの判決を下した。唯一の根拠は述べずに県側の主張を完全に退けたのだった。まるで、沖縄県民は日米同盟の犠牲になって当然だと言わんばかりだ。
 翁長県知事は判決内容に「大変あぜんとしている」と強い怒りを述べた。判決は、「国が説明する国防・外交の必要性について、具体的に不合理な点がない限り県は尊重すべきだ」と国が県を下僕とするかのような断言をした。司法の中立性の失墜は住民の生命や人権、生活が蔑(ないがし)ろにされ、民主主義を破壊することに繋がりかねない。沖縄の問題だと思いきや、実は私たちの身近な問題でもある。この不安と怒りをどう言い現わしたらいいのか。
 こう憂えていた矢先、米軍攻撃機AV8Bハリアーが復帰後19回目の事故を起こした。国頭村辺戸岬沖に墜落したが、事故原因が解明されていない。これで安全とは言えないだろうに10月7日に飛行の再開となった。飛行訓練に関する説明さえもないのだから住民の憤りと悔しさはいかばかりだろうか。
 さらに追い打ちをかけるように、基地と振興策はリンクすると言ってひんしゅくを買った鶴保庸介沖縄担当相が、今度は選挙と振興策のリンクを発言した。地元紙は「目の前にニンジンをぶら下げて選挙応援を促すというのは下品極まりなく、振興費をポケットマネーのように扱うのも担当大臣としての適性を欠く。(中略)鶴保氏には、沖縄振興の旗振りにふさわしい品性と慎重な言動を求める」と報じている。
 9月~10月の1か月間だけでも沖縄で起こった事態は日本人として恥ずかしい限りのことだ。なぜ今もって沖縄はこうも虐げられたような扱いを受けているのだろうか。距離的に遠いからなのか、それとも、米軍に「戦利品」として27年間も統治されたからなのか、それとも薩摩藩に侵略されて以来の差別なのだろうか。
 沖縄が抱えているさまざまな難問や苦悩は結局、私たちにも降りかかっていることなのだが、多くが他人事だと高をくくっている。けれど安穏とそうこうしているうちに、民主主義は崩れかねない。崩れる時の速さは台風並みだ。


→【http://worldpeace7.jp/?p=925

 大石芳野さんのプロフィールは、世界平和アピール7人委員会ホームページで以下のように記されている。

大石 芳野(おおいし よしの)
写真家。1943年東京生まれ。フリーランスとして40年余りドキュメンタリー写真を撮り続けている。日本大学客員教授。写真集に『夜と霧は今』、『沖縄に活きる』、『HIROSHIMA半世紀の肖像』、『カンボジア 苦界転生』、『ベトナム 凜と』、『アフガニスタン 戦禍を生きぬく』、『コソボ 破壊の果てに』、『子ども 戦世のなかで』、『<不発弾>と生きる〜祈りを織るラオス』、『それでも笑みを』、『福島FUKUSHIMA土と生きる』他。受賞:土門拳賞、紫綬褒章、JCJ賞(日本ジャーナリスト会議)ほか。

「わが心の歌-望郷のバラード」(天満敦子)

2016年10月23日 19時48分22秒 | 読書


 昨日読み終わった本は「わが心の歌-望郷のバラード」(天満敦子)。

「人生に同じ“時”は二度と流れない。瞬間、瞬間を大切に、必死に生きていかなければ、私達の生まれた意味はない。」
「大切なのはレッスンを受ける側の姿勢-精神的な姿勢だと思う。つまり受講する側にも吸収する力が要る。「飢えてる」状態を常に意識する。」
「試行錯誤の末、‥ウジューヌ・イザイという二十世紀初頭に帝王といわれていたヴァイオリニストが持っていた二本の「サルトリー」に出会ったの。片方が古典用でもう片方がロマン用で、形も違っている二本で、「ペア・ボウ」として有名な弓。この弓を持ちはじめてから、私のストラディヴァリウスがまた神様に近くなった。見てても惚れ惚れする。私が力任せに弾くもんだから、付き合っている楽器屋の社長がヒヤヒヤしてる。天満に持たせたら弓がへし折れるって。」

 天満敦子の豊かな音量で、弓が弦にぴったりと張り付いたように、ねっとりとした音色の美しさの秘密が語られている。私もこのような音でひけたら本望だと思う。ヴァイオリン弾きのひとつの理想であるが、意外とこのような目標よりも、細くとも繊細でヒバリのように空に響く音を目標にする人が多い。本当のヴァイオリンの音はどちらなのだろうか。

「拝啓ルノワール先生」(三菱一号館美術館)

2016年10月23日 15時04分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 ルノワールと梅原龍三郎という画家はこれまでも触れずにきた。どうもこの両者には惹かれる作品があまりない、というのが私の中の共通点である。
 梅原龍三郎はバリに渡り、ルノワールに面会の上で師と仰ぎ、対話と実作から多くのことを学んだ、という。会場ではルノワールの「パリスの審判」とその梅原龍三郎の模写が並んでいる。また梅原龍三郎のさまざまなルノワール由来の言葉、ルノワールの言葉が抜き書きのように記されている。

 また梅原の収集家としての面も評価されていて、ルノワール、ルオー、ドガ、ピカソ、ブラックの収集作品が並んでいる。これもまた魅力ある展示である。

   

 まず惹かれたのが、梅原龍三郎の「横臥裸婦」という作品。ヴァン・ドンゲンの影響を受けているとのことである。このように梅原はルノアールを師と仰ぎつつも、実際はルオー、マティス、ドガなどの影響が強いようだ。会場で撮影した展示風景とネットで掲載されていた「横臥裸婦」の画像を掲載してみた。
 ルノアールはおおような性格だったようで若い画家を受け入れ、交友が広かったようだ。梅原はその輪の中に入り込んでさまざまな影響を受けたことがわかる。直接の技法上の師弟関係というよりは、異郷の地での後見人のような存在と云えたかもしれない。

      

 しかし梅原は「パリスの審判」以外にも、ルノワールのブロンズ像「ヴェールを持つ踊り子」を「薔薇とルノワルのブロンズ」などとして模写というよりは、素材として別の作品へと昇華しようとしている。また薔薇の諸作品も帰国時にルノアールから送られた薔薇の作品を素材として梅原の独自世界へ昇華しようとしていることは理解できた。

 今回の企画展示、私なりのルノワール像や梅原龍三郎像をつくり直すきっかけになれると嬉しい。

   

鳥取県の地震

2016年10月23日 11時44分47秒 | 天気と自然災害
 鳥取県の地震、22日午後10時までに震度4を6回、震度3を20回、震度2を44回、震度1を97回観測したという気象庁の発表があったようだ。重傷者も幾人かおり、一部損壊の家屋も300戸近いとのことである。避難者の数は1500人とも1800人ともいわれている。次第に被害の実態が明らかになりつつある。私は特に都市基盤・ライフラインなどの諸施設や家屋被害、農業被害が私には気になるところである。
 同時に熊本地震の時もあったように、政府の高官が自治体の対応の足を引っ張ったり、悪意あるデマを流す人がいたり、ボランティアの熱意が昂じて空回りする時に調整ができない事態が現出することなど、人為的な二次被災が拡大することが、現地を混乱させ、復興の足をひっぱる。
 緊急的な支援と長期的な支援の区別、そして混乱を最小限に食い止めること、多くの智慧と熱意、支援できることと押し付けではなく見守ること等々の課題を教わる機会があった。阪神淡路の震災以降さまざまな人の努力でノウハウが蓄積されている。
 私はこれまでやってきたことからすると、各自治体の行政支援の在り方に関心がある。労働組合の支援の在り方にも当然関心があるし、関われることがあるかもしれない。人それぞれのかかわり方があると思う。どんなにささやかなこどても関われることは何か、と考えることから始まるような気がする。まずは現地の友人に電話やメールで声をかけることから始まることを3.11やその後のさまざまな体験談を聴きながら知った。
 少しでもスムーズな復興が果たせることを祈りたい。