マスクが登場する作品は、「逆さのテーブルとマスク」(1940)、「今日はマスクをつけよう」(1946-47)、「クラウン」(1948)、「舞踏会へ」(1950)、「ミスターエース」(1952)の5点が展示されていた。
「クラウン」は152×205センチという大きな作品である。保存状態が悪く修復過程がビデオで紹介されていた。
解説によると、「マスクという題材はそれまで多かった女性像から入れ替わるように、この頃(戦後)から登場する‥。マスクをつけた道化や、サーカスを題材にした作品が、色彩も一見、明るさを増してはいくが、代わりに登場人物たちの表情の持つ意味は、‥以前の女性たちの表情にも増して曖昧になり、見る者の感情や経験によって左右された」と記されている。
なお「ミスターエース」ということばについて解説では「「ミスターエース」とは、当時上映された映画で、アメリカの理想の男性像を演じるのに疲れた男の話‥。アメリカでエースというとき「切り札」という意味の他に「二面性」や「裏の顔」という意味でも使う」という記述がある。
マスク=仮面をつけるという行為は、アメリカという「民主主義」を標榜する国の二面性をあらわすのか、それによって蒙る作家の日常生活の二面性をあらわすのか、それは深読みに過ぎないのかはわからない。
このころアメリカは第二次世界大戦時のナショナリズムによる「白人」優位性に基づく多人種・他国民への排他性が著しい上に、東西冷戦という緊張関係の中でマッカーシズムという反共の砦として「民主主義者」も「共産主義者」も一把ひとからげに排除の対象となっていた。それこそスターリン化のロシアや戦前の日本の言論弾圧と遜色がないといっていい位だったし、スパイという名で冤罪も数多く発生したことは有名である。実際に人の生命も失われている。
戦後国吉は日系人の強制収容所や原爆被害者支援活動を行う。二番目の「今日はマスクをつけよう」は右手で仮面をつまんでいるように見えるが、そのつまんだ指の部分を除いて実際の顔に厚塗りの化粧をしたようにも見える。複雑なアメリカ国内情勢と厳しい生活環境を仮面のようなものを被らざるを得ないことを読み取るのは単純すぎる類推に過ぎないのだろうか。
三番目の「クラウン」は大きな作品で、他の作品とは違ってマスクだけが大きくクローズアップされている。床か机の上にどういうわけか立っている。支えているものは描かれていない。その仮面の表情は、表情を隠しているのではなく、愁いに沈んで弱々しげに見える。悲哀に満ちている。だが、じっと見ているとしだいに口元が少し笑いを含んでいるようにも見えてくる。能面にも似て、さまざまな表情を含み、仮面をつけた演者の動きによって表情が変わる面である。私には仮面の上にある黄色の楕円形や、背景の赤色、青色が何をあらわしているのかわからない。
四番目の「舞踏会へ」。舞踏会が日常生活なのかもしれない。
最後の「ミスターエース」は仮面を外しているが、その下の顔もまた仮面のような顔である。道化師であることを生涯つづけなければならないか、仮面をつけ続けなければならないという背景すら感じる。
国吉康雄は「民主主義国家」の内部矛盾や不合理には異議申し立てを精力的に行っているように見える。その活動を作品制作のエネルギーにしているように見える。直接的な表現ではなく、仮面や馬や少女‥という一ひねりした材料を使っているところが、好感が持てるところなのかもしれない。解釈に幅が出来て鑑賞者に投げかけるものに多くの含みがもたらされる。
日本の軍国主義に対し、ラジオの国際放送で国吉自身の「あなたがた日本の人々は、国際的な品位を汚す者たち、人類を奴隷化する独占者たちと妥協してはなりません。日本の将軍たちがこの戦争を始めました。終わらせるのは私たちなのです」声が流されたのち、国吉自身がアメリカという国で嵐に抗しなくてはならなくなったことは皮肉なのかもしれない。
同時に自ら発言した「終わらせるのは私たちなのです」をアメリカという国に即して実践したといえるかもしれない。それが今の時点から見て評価できるものかどうかは、意見はいろいろありそうである。
戦争中に国吉が作成した対日戦争のためのポスターの下書きも展示してあった。はっきり言って目を覆いたくなるようなつまらない漫画である。今のコミックの隆盛を築いた方達には申し訳ないが、ここまで漫画を落とし込めてはいけないと思う。対極にある藤田嗣治の後期の戦争画の方が、あり得ない肉弾戦の場面であるが、戦争画としては迫力はあるし、「新しい表現」に対する意欲を感じる。それが正しい画家の在り方かというと私は否定的だが‥。
藤田嗣治と対極にある画家として国吉康雄は私の記憶に残ると思う。二人の軌跡は対照的なようでいて、同質なところもある。戦争そのものが「悪」であるという視点から、そして「現在」からの視点でねあの戦争をどのように潜り抜けたかという評価抜きにしては、現在の私たちの身の振り方の参考にはならない。いつもこれを問い続けていたい。
ここに画家の写真がある。ちょっと気取って、得意然とした「成功者」のポーズである。同時代の習俗と云ってしまえばそれまでだが、藤田嗣治の写真と私はあまりに似ている表情に驚いた。
国吉康雄は貧しく育ち、渡米して画家の道を見つけ、アメリカの友人に囲まれ成功している。アメリカという国の日の当たる場所を受け継ぎながら、アメリカの負の部分に捨てられそうになりながらも、戻るところのない日本には戻ってこなかった。
藤田嗣治が恵まれた環境で育ちつつも決意をして渡欧し、ある意味では自力で成功している。戦争という事態を日本に戻って潜り抜けて、そうして戦後日本に捨てられ、フランスでレオナルド・フジタとして生涯を終えた。
ともに「成功者」としての絶頂を日本以外の地で獲得している。それは脱亜の象徴でもある。国吉の方が「コスモポリタン」として自己を全うしたのかもしれない。レオナルド・フジタは果たしてどうだったのだろうか。
対比的に見ながら、これからも注目していきたいと思う。
他に取り上げたかった作品もあるが、取りあえず終了としたい。