発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-295
9)再びインドを歩く
日記から-77
9月22日(土曜日) 快晴
良い天気である。 この様な天気ではテントを張っても安心である。
しかし、朝は農民の人々が早く起きて作業をするかもしれないので、早めに出発をする。
そんな訳でインドとパキスタンの国境には早めに着く。それが8時前である。
その時間はあまりにも早すぎて、国境が開くのは9時30分からだと言うので待つ。
この時間が長く感じた。それはこの国境を通れるかどうか分からないから長く感じたのであろう。
この間、朝の軽食を取ったりチャーイを飲んだりして、時間をつぶす。
その9:30 早速、出入国事務所に出かけて行き、出国審査をする。
ところが、審査を担当している人が無情にも「駄目!」だと言うのである。
「この国境を通りたかったら、ニューデリーまで戻り、許可をもらって来い。」と言う。
そのニューデリーでは今まで何回となく外務省まで行き聞いてみたが、許可書を出してくれなかった。
また、そこに行っても同じである。それを十分知っているので、この審査員にお金を見せて見た。
俺がした「袖の下」の出すタイミングが悪いのか、(周りの人がその様子を見ていたかもしれない。)彼は許可をくれなかった。
このお金は20ドルを始めに出したが、足りないかも知れないので後で100ドルも出した。
それでも駄目であった。
この国境からパキスタンのラホールまでは20~25kmである。
また、パキスタン側の国境、入国審査書までは見える所にあり、その距離が200~300mである。すぐそこに見えるのである。
本当に馬鹿みたいな話しである。
目の前に見えているそこに行くのに、飛行機を使いバスを使い回ってそこまで行かなくてはいけなくなった。
結局、余分なお金と無駄な時間を費やさなくてはいけない。
この状況はただ、パンジャブ州が不安だというので、インド政府が隣の国の国境を塞いだのだ。
俺たち旅行者には何も関係がないことなのである。
とにかく、今日はニューデリーに乗り物を使って戻る。
出費 2.00ルピー 朝食 (歩いて国境までの経費)
この後、 食費 3.00ルピー
リキシャ 2.00
バス 2.50
酒 32.00
ニューデリーへの交通費 39.00
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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
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