発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイを終えて)-106
4)タイを歩き終わり、次のバングラディッシュまで
日記から-3
1月27日 (金曜日) 快晴
昨日は Chang Raiに戻り、前と同じゲストハウスで泊まった。
そこには、3日前そこで会った山岳民族の研究家がまだいたので、今朝は一緒に山岳民族のを訪問することにする。
その研究家2人は共にタイ語はもちろん山岳民族語まで出来るという。
訪問する場所はマエチェンより北へ3kmの所を西へ20~30kmであり、そこまではトラックのタクシーで行く。
即ち、トラックに目的地を話し交渉で価格を決めるのである。この価格が50Bと高かった。
そのトラックを降りた地点から、2時間半山道を歩く。
この2時間半はこれから訪問するソイ族の成人が歩いた時間であり、子供、女の人などが歩いたら違うという。
だから、日本人研究家なども歩くのが遅いので、それを心配している。
この山道は本当に人が歩けるだけの狭い道であるから、自然が残っていて風景が良く、たまに過ぎ去るいろいろな部族のが興味深い。
そのを過ぎ去る時には何だか心がウキウキしてくる。やはり自然の中は良い。
他の2人が歩くのが遅いので、本当にやっとという感じで目的地であるソイ族のに着く。
そこは山の中腹にあり、家が20~30軒が集まっている小さなである。
また、そこからは眺めが良く、空気がうまい。ここで数日生活できるというのである。ありがたい。
早速、夕食を食べる。それはご飯と菜っ葉を炒めた物である。
おかずはこの一品とご飯であるが俺はお腹一杯食べられた。
俺は全部食べてしまったが、残りがないので、この後この家の女の人が残りを食べるようであれば、食べる物がないので心配である。
(女の人や子供はお客や男の人が食べた残りを食べる習慣がある。)
夜、俺は腹が一杯で眠たくなったので寝ようとしたが、他の2人は他の家を訪問すると言う。
彼らはこの家ではあまり食べず、他の家を訪問する目的があったのであろう。
俺はお腹が一杯なので、他を訪問することは止める。
眠ろうとしていた時である。この家の若い男がやって来て、タバコをくれる。
日ごろはタバコを吸わないが、面白いので吸ってみる。
そのタバコはトウモロコシの外側の薄い皮を乾かし、それをタバコの外側の紙代わりにして吸うのである。
日本ではタバコの葉を紙で包んで吸うこともないが、アメリカでは紙を自分で包んで吸うのを売っている。
トウモロコシにタバコの葉を包むのも要領がいるが、俺はアメリカで何回かしたことがあるので何とか無難に出来る。
この他この男は楽器も見せてくれる。それはヒョウタンに5本の長短の木のパイプを上側に差し込んだ笛である。
5つの穴が下側にあり、それを指で押さえ、音の高低を出し、結構良い音がでる物である。
俺は楽器が良いとは思ったが買いたいとは思わない。だが男は価格を100Bだと言い、売るというのである。
俺は今後長い旅が続き、荷物になり買えないし、高いのではないかと思い断る。
後で、研究家2人に聞いたらその楽器の価格はやはり少し高いと言っていた。
その研究家たちは帰って来て話をしたら、他の家で酒を飲みいろいろな物を食べたそうである。
家により待遇が違うようで、泊まることを決めた家を間違えたようだと彼らは言う。
そういえば日本の大学の時の友人の手紙によると、明後日は彼が結婚するはずである。
それで、電報を打ちたいが、ここは電気も通っていないので不可能である。
前に手紙を出しているのでそれで我慢してくれ。
とにかく、ここは現代の文化生活からは離れたものである。だから、夜はランプを使っている。
ソイ族の泊。
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筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
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