発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-124
6)バングラデシュを歩く
日記から-4
2月16日 (木曜日) 曇りのち晴れ
朝、アメリカ人のボランティアの地を離れる時、アメリカ人が何時もやるように彼らは俺の写真を撮った。
そして、治外法権の様な敷地を出て、歩き出す。
本当に昨日の夕方は他の国にいるようで一瞬の夢のような一時であった。
さて今日は5~6kmはジャングルが続き、バングラデシュにいることを思い知らされた。
その後は水田に出て、またすぐに人々の多さに驚かされる。そして、後ろに着いて来る人々。これがバングラデシュである。
水牛が池にいる。カメラが悪く綺麗に撮れなかった。
今日はこのバングラデシュを歩き始めて、初めて晴れた。暑い日である。
それでも影が涼しいのが助かる。歩くのには一番良い日である。
今日の歩く距離は22kmぐらいで止めようと思っていたが、23km歩いたら警察署があった。
そこで、この辺りに泊まる所があるのか聞いたら、1~2km先にボーディングハウスがあると言う。
その警察では何回もこの辺は山が多いので外で寝ると危ないと注意をしてくれた。
それなのに1~2km歩いてもそれらしきものがなく、その内に日が暮れてしまった。
結局、そのボーディングハウスは見つからなかったのである。
仕方がなく、学校なのかまたは警察らしき所に入り、泊まる所を探していると言う旨を伝える。
そうしたら、そこで泊まって良いというのである。そこは何と学校でもなく警察でもない普通の家であった。
結構広い敷地に幾つもの家が立派に建てられている。それで俺は公共の建物ではないかと間違えたのであった。
その家々は一つの親族が住んでいるのである。皆は親切に対応してくれ、ある人は日本に大変興味を持っていた。
ここの人々は大きな家に住んでいるからお金があり、教育が出来るからか、皆大学以上を出ているようだ。
だから、皆が英語を話す。
話は戻るが、今朝、道をチタゴンヒルトラックの方へ行くのは皆に止められた。
それはそこを通るには許可がいるし。また、チタゴンにストレートで行く方が楽だから、その別の道を歩くより良いからであるらしい。
出費 22.15タカ
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筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
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