徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -404

2011-10-22 08:27:31 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -404

13)イランを歩く

日記から-58

1月17日(木曜日) 晴れ、少し雪

 朝、ホテルを出る時に警察へのチェックの為に彼らが来るのを待つ。
これはホテルのマネージャーが警察に連絡を昨日していれば、今朝待たずにすみ、時間をつぶさなくて良かったのに。
マネージャーが怠惰で、虫が好かない親父だ。とにかく時間がもったいない。

 その警察のチェックの後は簡単にナンとパニール(チーズ)を食べただけで今日は何も食べていない。
昼にチャーイを飲んだが、その時は夕方歩いている時にカフェを通過しないとは思わなかった。
日が暮れてしばらく歩いていてもカフェは見つからない。それでも工場があり、少しの光は見える。
さすがに寒い。これが本当のこの辺りの冬の寒さのだろう。
日が暮れ、温度が下がったからだろう、路肩のグチャグチャの土が固くなってきた。
しかし、凸凹で固まってしまっているので、まだ靴擦れが治りきれていない足にはきつい。

 この中でテントを張る。
寒さの為にどれだけ時間がかかって、日が暮れてどれだけ時間が過ぎたか分からない。
一体何時なのだろう。(時計を持っていない。)そんな中にテントを張る。

 今日の食事は朝の一食だったので、寒さが特にこたえる。
夜、寝る時、下半身はズボンとインドで手に入れたズボンの2重を履く。
上はTシャツ、長いシャツ、トックリのセーターそして彼女から貰ったジャケットその上にウィンドブレーカーを着る。
足には靴下、顔には仮面のマスクを使い、冬用の寝袋の中に寝るのである。
その様に準備をし、さて寝ようとした時に人の声が聞こえたような気がして、少し落ち着けない。

出費 230リアル(拾ったのが110リアルで実質は120リアルの出費である。)

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -403

2011-10-21 07:59:57 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -403

13)イランを歩く

日記から-57

1月16日(水曜日) 曇り、雪

 昨夜は雨が降っていたのに、今朝は雪である。
その後もグングン冷えてくる。昨夜は水が氷らなかったのに今日は持っている水筒の水が氷るのである。

 今日の風は歩いている方向の右から強く吹いている。
それでここは車が右側通行だから普段は道路の左側を歩いているのだが、それでは車が通る度に風の影響を受ける。
だから今日は道路の右側を歩く。これでは風が右側から来ているので、車に影響を受けずに歩くことが出来る。
他には雪が降っているので、道路の上に降った雪が粉の様に横切るのである。即ち相当に寒いのであろう。
それはあたかも砂漠の砂のようであり、色がキナコ色ではなく白い色だけの違いである。
この強い風で久しぶりの寒さにより耳が痛い。さすがに回りに何もないから風も強いのであろう。
この後もこの様な寒さは多くあるのであろう。先が思いやられる!

 今日は雪と風の為に白く煙っていて前が良く見えなかった。
そう言えば、パキスタンの砂漠では砂嵐で目を開けていられなかったことがあった。それとあまり変わりがない。

 今日の風と雪でズボンの風が当たる右側は雪でバリバリに氷って、ヘバリ着いていた。
この状態でカフェに入るとそのズボンについた氷が溶け、濡れて冷たくなり嫌である。
それで溶けたからにはそのズボンが乾くまでストーブに当たり、外に出たくないものである。
今日は突然寒くなったので、目と鼻が出ているだけの覆面を使いたいが、それはバックパックの中に入っているから、出すのが面倒である。
仕方がなく、マフラーを耳が少しでも冷たくならないように顔に巻くが、歩いているとそのマフラーが落ちて来て上手く行かない。
とにかく、一日の内に、と言うか、半日の内にこうまで温度が下がってしまうのである。
だから、この後はもっと大変になるだろう。

 足の靴擦れは昨日の休養で少しは良くなったようである。
少しは助かる。

 今日はTakestanという町でホテルを見つけて泊まることにする。
連日のホテル宿泊である。少し贅沢なような気がする。

 そのホテルのカウンターで葉書を送るのだが、この従業員が適当だ。
日本まで葉書を送るのは切手は幾らだと聞いたら、50リアルだと言う。しかし、テヘランでは25リアルで俺は送った。
それで聞き直して、テヘランでは25リアルだったことを伝えると25リアルだと言うのである。
次にアメリカまではいくらか聞いたら、40リアルだと言う。
これもテヘランでは外国は25リアルと同じであったように思った。
そんな訳で、この男を信用できないので、切手を貼りスタンプを押すまで待って見ていた。
とにかく彼は俺が言わないとしないのである。本当に適当であり、いい加減な人間だ。
7枚の葉書を送ったのだが無事届くのだろうか?(日本4枚、インド1枚、USA1枚、イギリス1枚)

 今日のホテルのドミトリーの料金は1ベッドで300リアルである。これは普通のようだ。

出費 960リアル(郵便の200リアルを含む) 

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -402

2011-10-20 07:55:12 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -402

13)イランを歩く

日記から-56

1月15日(火曜日) 雨

 今日は昨日と違い朝から雨である。
こんな砂漠のイランで雨が多いとは思わなかった。
また、足は痛いし、ズボンを縫わなくてはいけないので、今日もこのQazvinでもう一泊することにした。
他にも葉書を書かなくてはいけないということを理由として、このクジケマンはもう一泊することにしたのである。
昨日はドミトリーに泊まったが、今日は昼過ぎからダブルの個室に移る。
そこは狭い部屋であり、価格は600リアルであまり良いとは言えない。
それでも、とにかくマネジャーが良いのと、このチャーイ屋に集まる多くの人々を見るのが面白いので、まあ良いだろう。

 今日はそのチャーイ屋で面白いことがあった。
そこで本を読んでいる人がいると思えば、その斜め前である人がアラーにお祈りを捧げているのである。
そのお祈りをしている様子は完全に自分だけの世界であるから、前に冷蔵庫があるのだが気にしないのである。
他から見れば何だか冷蔵庫にお祈りしているのかと思うのである。

 何故このチャーイ屋はこんなに人が多く集まるのだろう。
マネージャーが良いのか、働いている人がいいのか?とにかく、老人から若者までが集まる。
ここはまさに西洋でいうパブであろう。ただし、ここでは酒を出さない。

 そう言えば、昨日行ったハンマム(銭湯)が印象的だった。
そこに入ったら大きなドームがあり、その真ん中に噴水があるのであった。
その周りには一段高くなった所にロッカーがあり、そこで服を脱ぎ、次の部屋に入った。
そこも大きなドームになっていて、そこには4つの水溜のタブがあった。
その水溜のタブに人が集まり、体を洗い、布も洗ったりもしていった。その周囲にはシャワーもあり、そこで最後には体を水で流すようだ。
ところで、水溜のタブから皆が桶を使い水を汲むのであるが、垢が溜まって汚かった。
それにタオルを貸してくれるのだが、人が使った後、ただストーブで乾かすだけだからか、そのタオルが臭かった。
その辺は良くないが、庶民の銭湯に入ったということで、このイランの庶民に触れたという感じである。

出費 1350リアル

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -401

2011-10-19 08:12:16 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -401

13)イランを歩く

日記から-55

1月14日(月曜日) 晴れ

 今朝は非常に足が痛い。
カカトの所は両足が剥けてしまって大変だ。だから、歩き初めてから痛さが落ち着くまでに時間がかかる。
どうしてもカカトの痛さをカバーしようと他の所に力が入ってしまう。
それがまた他の所に靴擦れを作ってしまう。
だから、歩く時は「今まで歩いていたように自然に、自然に歩け!」と自分に言い聞かせているのである。
この様に言い聞かせると気分的に痛みが和らぎ、痛みを忘れられるように思う。

 足の痛みを我慢しながら、何とかQazvinに着くことが出来た。何だかありがとうと言いたい。
幸い今日は天気も暖かく、昼間には2枚だけ着ていても少し暑いかなと思うぐらいだ。
この後行くダブリスという所はイランでも寒いということで知られている。
この先は寒さに思いやられることが予想され、急に寒くなることも考えられる。
今日はつかの間の暖かさであろう。

 このQazvinの安ホテルに着く。
このホテルにはチャーイ屋があり、老人達がそこにタムロしている。
そこで彼らの話はよくは分からないが、彼らを見て話を聞いていると面白い。
その彼らの何人もの人が俺に一度に話しかけるので、何を言っているのか理解が出来ず、非常に疲れる。
それでもこの雰囲気がいいので、このホテルは俺が好きな方だ。
他にもホテルのマネージャーが良い人のように見える。
俺は話は出来ないが、テヘランでモハメッドにペルシャ語を少し習ったので、少し相手が何を言っているか分かるのも助かる。

出費 1010リアル

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -400

2011-10-17 07:36:21 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -400

13)イランを歩く

日記から-54

1月13日(日曜日) 曇り、小雨

 朝、小屋を出る時に少し手間取る。やはり、小屋のような人の所有物で寝るのはどうも気が引ける。
人目を気にして出発である。

 昼前にカフェ(ドライブイン)でチャーイだけを飲み、3時前にはやはりカフェに着きそこで昼食を取る。
その昼飯はチェロコレシュを食べ、チャーイを飲んだ。
昼食が遅かったので、テントを張った後は簡単に食べる。それはナン、パニール(チーズ)、ハルワー(ピーナツクリーム)そしてチャーイである。

 朝は寒かったので、下着、長いTシャツそしてトックリのセーター(トラックの運転手がくれた物)を着て出発した。
ところが、今日の昼は暖かくこれだけ着ていると汗が出た。
しかし、テントを張ってしばらくすると寒さを感じる。非常に温度差がある異常な天気でもある。

 今日はQazvinという町まで25kmの所でテントを張る。
昨日、遅くまで歩いていた分、今日は暗くなる前に早めにテントを張る。

 足が非常に痛い。
両足のカカトの上側が直径5cmぐらいずつ両足がズルムケである。
そして左足の小指そして親指の先と根本、右足は親指の先がそれぞれ痛い。
カフェに着いて食事をした後、歩き出す時、休んだ後、歩き出す時などは非常に痛くて仕方がない。
歩く格好が見るからに痛々しく見えるであろう。
これでは人々は俺が今まで26,000km以上歩いた男に見えるだろうか?

出費 475リアル