発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-184
8)ネパールを歩く
日記から-7
4月18日 (水曜日) 晴れたり曇ったりそして夕立
今日一日このTiwari Bhanjyangの村にいることにした。
あまりにも小さな村なので、何もすることがない。
村には小さな銀行の下に3軒くらいの店があり、その真ん中の店の2階に昨日泊まったのである。
その銀行の屋根はというと、屋根が少し前に風で飛ばされたので、多くの人が今修理している。
その様子をしばらく見ていたが、これもすぐに飽きてしまうが、本当にノドカで良い。
この村の村長が皆と話をし、銀行に集まる人などの様子を見ていると本当に山奥の小さなエーリヤだけのことである。
この様なことが日常のことで平和で良いと思うのである。
もう一つフォトグラファーの仕事も見せてもらう。
この本当に小さな村にフォトショップがあるのである。主人のMr.Siwahatが一人ですべての仕事をするのである。
5×5㎜のフィルムを使用する日本のカメラを1つ使い、パスポート大の写真を撮るのである。
こんな田舎の村ではこの顔写真など必要なのかと軽く思っていたら、とんでもない結構多くの人が来るのである。
だから、この主人は一人では大変そうである。もちろんこの写真は白黒である。
(ちなみにこの前なくした俺のカメラに入っていたフィルムはカラーであった。)
白黒写真だから現像も焼きつけも彼一人で出来るが、焼つけの時には電気がないのでロウソクでするのである。
このロウソクでの焼つけの技術はたいしたものであるし、非常に良いものを見せてもらった。
さて、村人にとってはあまり楽しみがないからであろうか?写真を撮るときの皆の期待と真剣さが伝わってくる。
これが数少ないリクレーションの一つなのではないだろうか?
だから、写真を受け取りに来た人々の嬉しそうな顔と満足そうな顔が忘れられない。
夕方から「ロキシー」が始まった。(酒飲みが始まった)昨日と同じメンバーである。
これが始まる前、一匹の鶏が犠牲になったようだ。ごめん!そして昨日と同じように酔った。
英語を話さない村長そして警察官、その彼ら2人からの痛いほど親切が伝わってくる。
そして、終わりにはネパールの歌と踊りである。彼らの歌や踊りは楽しいものが多い。
山の小さな村に暮らしているわりには驚いたことに、彼らは他の国の歌を知っていたり、他国にも行ったことがあると言うのである。
それにしても、俺は日本の民謡や歌で楽しい歌をお思い出せなかったのは残念だ。
俺も歌を歌ったのだが、彼らの歌の様に人を楽しませるという意味では負けてしまったようだ。
結局、3曲歌った。
出費 1.25ネパールルピー
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