発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、ヨットまで
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー
15、旅でのいろいろ総括 – 655
お世話になったスイスの家。右のおばあちゃんが親切にしてくれた。私は一番左。
私が着ているのは私の持っている唯一の服であった。
5、旅先でのトラブル
忘れられぬ多くの親切
砂漠には何もないはずなのに、オーストラリアの砂漠にこれほど蝿がいるとは思わなかった。
私の担いでいるバックパックを置くと、それが真っ黒になるほどの蝿の数であった。
しかも、歩いている速度は蝿がついて来るのに丁度いい速度なのだ。
砂漠には蝿がたかるところが少ないからか?私に蝿が集まって来た。
主に、蝿は水分がある私の目と口を狙って来るのだが、やはり顔に来るのは嫌なものだ。
原住民を見かけたときに彼らの顔に蝿がついても気にしていないようだった。だから、彼らがうらやましい。
その嫌な蝿を撃退する為に、初めは蝿が飛ぶ方向を予測して手と手で叩き潰していた。
それではあまり当たらないので、次に顔に止まった蝿を手で叩いていた。即ち、手と顔で叩き潰していたのであった。
だが、それを続けているうちに顔がヒリヒリするし、潰した蝿が臭うように思うので閉口した。
とにかく、絶対数が多いので、潰しているだけでは何の対策にもならない。
次に考えたのが、虫除けのスプレーを顔にかけることであった。
それをしたら、その薬が汗で流れ、目に入った時には目が痛かった。
また、その次に考えたのは 窓に虫が入らないようにするスクリーンを帽子に着けた。
これでは蝿は防げるが思ったより風通しが悪いので、暑くて耐えられなかった。
結局もとに戻って、「気にするからいけない。これも自然が課した訓練だ。」と思うことにした。
そう思うと顔に止まった蝿もしばらくすると飛び立っていくのであった。
蝿の存在は人間の訓練のためなのかとも思ったのであった。
オーストラリアの砂漠では家がない所が多く、食糧を確保しなければならなかった。
ある時に3日分のハンバーガーの肉を焼き、それに合う数のパンも持って行った。この砂漠では野菜が手に入らなかった。
そして、初めて開いた昼食にそのハンバーガーの肉を見ると無数に動く物が見えるのであった。
それはよく見るとウジであった。
前日に肉を準備した際、熱いので冷やすために肉を何も覆わずに置いていたから、蝿が集って卵を産んでいたのであった。
その昼食を食べる前そのウジを必死で取ったのだが、、、、、、まあ、、ウジもハンバーガーの栄養を取っているのだから、汚くないかと思ってハンバーガーを食べたのであった。
その次の夕食、残っている肉を見たらやはり、まだウジがいたのだ。その上、驚いたことにそのウジが大きくなっているではないか????
また、仕方なく、うじを取って食べたのであった。。。
次の日もウジはまだ残っていて、同じように大きく成長しているのであった。。。。
このオーストラリアではアリにも悩まされたものだ。
アリに噛まれたり、テントに穴を開けられたり、食糧の中に入ったりであった。
食糧の缶詰の中に入ったアリなどを食べたことから、アリにもいろいろな味があることを知った。
ミントのような味のアリもあったのであった。
また、砂漠で少しの影を見つけて休んでいても、足を伝わってアリは上って来るのであった。そして、男の大事なところまで来て咬むのには閉口した。
アジアでは原因不明の熱が出た。
そんな時には暑い気候でも冬に使う寝袋をかぶって無理に夜の間に汗を流してでも野宿をしたものであった。
次の日はふらふらしながらとにかく病院があるだろう町まで歩こうと自分に言い聞かせながら歩いていると不思議と治るのであった。
インドではよく微熱が出て、食事をしたら下痢をした。
普段、元気な時には一回も休むことなく20km~60km歩けるのであったが、それができなかった。
不思議と2~3km歩いたら、息切れがして休まなくてはならなかったのであった。それほど体の調子がよくなかった。
そんな中、やっとデリーに着き、いろいろな情報を集めて、原因を解明すると回虫と肝炎ではないかというのであった。
回虫はその後、薬を飲み3日目に20~30cmの回虫が出て治まったが、肝炎はその後また、熱が39度以上の日がしばらく続いた。
これらの原因は生野菜をそのまま食べたり、現地の食器をそのまま使っていたからであろう。
幸いなことに、肝炎は慢性ではなかったので、デリーで2週間、現地の薬を飲み、汗を出したら治った。
歩けるようになってからも少しは疲れたが、その内にもとのように歩けるようになった。
この病気の期間はインドの食事が安いのにもかかわらず、インド料理が食べられないので、自炊をして食べた。
他にも砂漠では乾燥し日差しが強く、唇から血が出た。普通、このように日差しが強いのであれば、白い色のクリームを塗り日焼けの予防をするのであるが、そのような準備はしていなかった。白人などは鼻のところに紙の帽子を被せることもある。
他の旅でのトラブルは大晦日に浮浪者と酒を飲み換金したばかりの現金をとられたりもした。
その他にも数え切れないほどのトラブルがあったが、それは私にとって良い経験であった。
トラブルも良い経験なのだが、何と言っても人々からの多くの親切は忘れられないし、それによって歩くことが出来たと思っている。
今まで知らなかった人が宿泊させてくれ、食事をくれ、洗濯をしてくれ、おまけに破れたズボンを縫ってくれた。
それらの親切の前に私は嘘をつけないのだ。屈服せざるをえない。
だから、チャンスがあればいつか彼らに恩返しをしたいと思うのである。
人の親切に敏感でいるためにも、親切を期待してはいけない。
自分で最善を尽くして努力しているとき、人の親切を実感するのだ。
その点、今の世の中ではあまりにも人の親切に期待をしているのではないだろうか?
例えば、ヒッチハイクのことである。私も学生時代にお金がなくなりヒッチハイクをして実家まで帰った。
これは一度してみたいと思ったからであるが、このヒッチハイクというのは旅をする出発の時点で、考えが「乗せて行ってくれ、助けてくれ!」ということだ。
親切をおねだりしているのだ。
アメリカでは何かを必死に行っているときに、「お前は何をしているのだ。」と人が興味を持ってくれる。それで、共感してくれたら協力してくれることがよくある。
この様に人は何か全力を出し行っている姿に「助け」があるべきではないかと思うのである。
何も始めていないのに「助け」を期待してはいけないように思うこのごろである。
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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
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