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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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「歩き終わり、次はヨットへの挑戦の日記」
14、ヨットに乗る-646
その3
Madeiraのヨットハーバー。このハーバーに着いた一本マストのヨット。
その様な時にMadeiraに着き、しばらく休んでいた。
その島ではヨットが宿舎になりはしたが、出来るだけヨットに居ないで外に出るようにしていた。
また、ヨットのクルーの中のカナダ人たち2人がこの島でヨットを降りた。
即ち、オーナーのアレンとデンマークのペアでベンダ(女)とヤン(男)と僕の4人になった。
MadeiraからCanary Islands へ再び航海を始めた時であった。
台風が来てしまい強い風に横倒れしそうになった。すべてのセールをしまい込んでも船は40度以上に傾いた。
その中では料理を作ることも食うことも出来なかった。
それでもウォッチ(当直)をしなくてはいけないのであった。
あまりにもひどい風の状況の中なので他の白人はウォッチをしろと言ってもしないから、仕方なく僕がそのウォッチをした。
夜中などもしたのであるが、その時は波に体をさらわれない様に命綱で体を結わえ付けてのウォッチであった。
そのウォッチはただ真っ暗な荒れた海を見ているだけであったが、誤って海に落ちてしまうと絶対にヨットに戻ることは出来ないと実感するのであった。
そして、そのウォッチは夜中、周りに何もなく真っ暗で、ただ荒れた波がヨットにぶつかる音だけが聞こえるのであった。
その波によりヨットのキシム音は不気味であり怖いぐらいのものであった。
次の日の朝、嵐も治まって、無事であったことを喜び、オーナーのアレンは僕に対して「昨日は嵐の中よくやったね。」と言ってくれた。
そして、その後アレンは他の白人には舵を握らせず、僕にだけ舵を握らせてくれるのであった。
人種差別をし「頭を使えよ」と何時も言っていたアレンが僕をこのヨットの中で一番信用できる人になったのであった。
即ち、僕は彼から信用を勝ち取ったのであった。
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