発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++
日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-257
9)再びインドを歩く
日記から-39
8月3日 (金曜日) 晴れ
デリー市場の様子
日に日に体がよくなっていくのを感じる。自分で昨日の自分でないことを実感する。
このところ外へ出ることができるようになったが、まだインド料理を食べるのには抵抗がある。
あのマサラの臭いが鼻につき食べられないのである。
それで、デリーに最近できたというピザの店に食べに行く。そこではサラダバーがあり、思う存分野菜が食べられるのである。
俺が肝炎なので、野菜を食べた方が良いという観点から、このピザ屋は価格が高いが何回か食べに行くようにしている。
それにしても田舎のインドを見てきた俺にはこのピザ屋がインドのイメージとは合わないのである。
即ち、田舎の現状はこれほど裕福ではないということである。
8月4日 (土曜日) 晴れ
ホテルを替わる。昨日まではハニーゲストハウスのドミトリーにいた。
尾藤さんという人がツインのベッドの部屋に一人で泊まっていて、一つのベッドが余っているから、使えということであった。
そこはこの暑いインドのデリーのわりに風通しがよく、また蚊がいないので大変過ごし易いホテルである。
今までのハニーゲストハウスのドミトリーは風通しが悪く「むっ!」とした感じで空気が悪かった。
今考えたら、そのドミトリーでは病気にかかっても良くなるはずがないと思った。
それで丁度、良いチャンスであった。
================================================================================
筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
================================================================================
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます