十河城跡にたつ 称念寺副住職のブログ

高松市十川東町 浄土宗、称念寺の日常の様子や行事の紹介です。時々、十河城跡に関係することも書きたいと思います。 

称念寺の名前の由来は?

2021年11月06日 | 日記
 お十夜の案内状の裏面に印刷してお送りしました。弟子がまとめてくれたものです。

称念寺の名前の由来

 当寺、称念寺の正式名称をご存知でしょうか。
 称念寺の正式な名前は「頓証山(とんしょうざん)清光院(せいこういん)称念寺(しょうねんじ)」といいます。これを山号(さんごう)、院号(いんごう)、寺号(じごう)といい、寺院の三号と呼ばれています。
 当寺の山号である「頓証山」の【頓証】という言葉の意味は、段階的な修行を経ずに、速やかに覚(さと)りの境地に達することです。
 「清光院」という院号は、三好長慶の弟で十河城の城主だった、十河一存公の戒名「清光院殿春月宗圓大居士」からいただいています。称念寺は十河城址に建っていますが、元々は称念寺の正面にある坂の下あたりに建っていました。江戸時代初期の寛文二年(1662)に十河氏の菩提を弔うよう命を受け、今の場所に移ってきました。
 寺号の「称念寺」というのは、戦国時代に活躍した浄土宗の僧侶称念上人(1513―1554)からきています。この称念上人は、多くの人に念仏の教えを勧めようと天文一三年(1544)から諸国行脚をし、布教活動に励まれました。全国各地に称念上人を開山とする寺院がおよそ五十箇寺ほどあり、称念寺という寺院は全国に点在しています。当寺もその一つで、詳しい年は定かではありませんが、当寺の本尊様である阿弥陀様をお祀りしていた小さなお堂に称念上人がやって来られた際、本尊様の由来を村の老人に聞き、お寺を建てられました。そして、本尊様を運んでこられた法然上人の直弟子である住蓮(じゅうれん)上人を称念寺の一世とし、自らを二世とされました。この時に称念上人が山号を頓証山、寺号を称念寺と名付けられたと伝わっています。