日々史跡めぐり

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鳥越(とりごえ)神社

2013-10-04 | 平将門
久し振りに平将門公についての記事です。
東京の台東区鳥越にある鳥越神社を紹介します。







鳥越(とりごえ)神社

当神社は、白雉二年(651)の創建。日本武尊、天児屋根命、徳川家康を合祀している。
社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。後、永承年間(1046〜52)、奥州の阿 倍貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義、義家父子は、名も知らぬ鳥が超えるの を見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名付けた。以後、神社名に鳥 越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった、天児屋根命は、武蔵の国司に なった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。また、徳川家康を祀っていた松平神社(現・蔵前 四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。
例大祭は、毎年六月九日前後の日曜。千貫神輿といわれる大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑い、また正月八日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有名である。
由緒書きにはありませんが、こちらの神社も平将門にゆかりのある神社であるという説があります。
将門の首が飛び越していった⇒飛び越え⇒鳥越と転じて、鳥越という地名になり、また神社の名となったとか、将門の遺体は江戸の各地にばらばらに埋葬され、当社には手が祀られているという説があります。





下町のまちしるべ



旧浅草鳥越二丁目

本町名は、鳥越神社にちなんで付けられた。この付近は平安時代後期の頃(1185)まで白鳥村と言われていた。日本武尊が東国平定のため東征するおり、この地にしばらくとどまったことから村の人々はそのご威徳を慕い尊び、白雉二年(651)白鳥山の山上に白鳥大明神を祀った。その後、永承(1046-1053)の頃、源義家親子の率いる軍勢が奥州征伐のため大川を越えようとする時、白い鳥に浅瀬を教えられ無事渡ることができた。義家公はこれ白鳥大明神のご加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。

拝殿



祖霊舎



志志岐神社





志志岐神社

御祭神 豊玉姫命
例祭日 五月十五日
御由緒 当社は、その本社対馬国下懸郡久田村にあり、往昔より安産を守る神として崇められる。
御祭神豊玉姫命は、海神の鸕鷀(うがや)の翼を用い草として葺けるに未だ葺き合えざる安産し給うに依りて、御子鸕鷀葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と申奉る。此の故事により対馬國人本社を安産の神として崇め奉るに依りて、藩主宗対馬守、寛永年間にその邸内社を現在の台東区一丁目二番辺りに勧請し、屋敷の守護神となし、安産の神として緒人に参拝せしめられたり。産婦社域内の御石を頂き安産を祈り、お礼に御石を納め箒を納める風習あり。
平成十三年鳥越神社鎮座1350年を法祝し、其の社を境内末社として鎮め祀る



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コメント (2)
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