日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

多賀町を巡る(1)大瀧神社 その壱

2021-04-27 | 神社

昨年の秋、Twitterのフォロワーさんで、彦根在住の緑茶さん @grnt2512に、滋賀県犬上郡多賀町を案内していただきました。

多賀町の大瀧神社は、「滝の宮」とも言われ、祭神のタカオカミ、クラオカミは、滝の近くに鎮座しています。

一之鳥居

 

二之鳥居

二之鳥居の前には冨王稲荷神社が祀られています。



社殿は寛永15年(1638)徳川三代将軍・徳川家光の下知により、当時多賀大社、胡宮神社と共に造営されました。

 

拝殿

 

古来、多賀大社の末社、あるいは奥宮として考えられています。

 

本殿

 



大瀧神社(瀧之宮)
御祭神 高龗神 闇龗神 水分神
例祭日 5月5日
御本殿 一間社流造檜皮葺(県有形文化財)
御祭神は京都鞍馬の貴船神社にも祀られる水神で旧大滝村の総鎮守として、又、犬上川流域の水利を司る神として広く崇敬されている。
創祀年代は確定できないが「淡海落穂草」に「大同2年坂上田村麿将軍のご領にて建立」とある。
現在の本殿は、標木及高欄擬宝珠に寛永15年(1638)の銘があり、多賀大社、胡宮神社等と共に徳川家の造営によるものであり、象頭形の木鼻、花鳥を刻した蟇股欄間等に江戸初期の様式手法をよく伝えている。

 

 

大瀧神社本殿
県指定有形文化財
一間社流造 桧皮葺 江戸時代
昭和48年6月27日指定
神社の創立は、あきらかでないが多賀大社の奥宮あるいは末社と考えられる。一間社流造の本殿形式は、全国的に分布し、三間社流造に次いで遺構が多い。 現在の本殿は、棟木および高欄擬宝珠に寛永15年(1638)の銘があり、また、「慈性日記」の同年の記録からも胡宮神社本殿、千代神社本殿(彦根市)などと共に多賀大社の末社として再建されたことが裏付けられる。
 一間社としては規模の大きな本殿で、象頭形の木鼻、鳥や花を彫刻した蟇股、欄間などに江戸初期の様式手法をよく伝えている。
平成4年3月
滋賀県教育委員会

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雲龍院(4)

2021-04-17 | 仏閣

悟りの窓

書院悟之間の窓。

悟りの窓からのぞく風景から四季の移り変わりを感じることができます。



照明を落とした部屋に、障子の隙間から入ってくる自然光が、見事な光と影のバランスを作りだしていました。

 

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雲龍院(3)

2021-04-07 | 仏閣

雲龍院の庭

大石(内蔵助)良雄筆「龍淵」

赤穂城を退き、山科に浪宅を構え閑居した大石良雄の力強い筆跡の「龍淵」の書。
雲龍院の近くに大石良雄が身を寄せていた来迎院があり、その茶室含翠軒で討ち入りの密議をしたとのことです。

霊明殿

御寺泉涌寺の別院である雲龍院は皇室と密接な関係があり、後水尾天皇以降の陵墓が後山にあります。霊明殿はその皇族の位牌堂のことで、現在の建物は明治元年に孝明天皇・大宮御所・静寛院宮・各尼門跡宮からの援助を受け建立されました。
北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇の御尊牌、後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇、東福門院・普明照院といった江戸時代の皇子・皇女の尊牌が奉安されています。

霊明殿の前には、徳川慶喜寄進の石灯籠があります。

 

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