日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

蛸薬師堂

2013-06-21 | 仏閣
新京極の蛸薬師堂は、病気平癒の御祈祷で有名です。









蛸薬師堂

正しくは浄瑠璃山永福寺といい、本堂に「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来の石造を安置している。

昔、この寺が二条室町にあったころ、付近に池があったことから、水上薬師または澤(たく)薬師と呼ばれ、これが訛って蛸薬師となったといわれている。

また、一説には、この寺にいた善光という親孝行な僧侶が、戒律に背いて病気の母のために蛸を買って帰るところを町の人に見とがめられ、箱を開けるよう求められたとき、薬師如来に「この難をお助けください」と念じたところ、蛸の足が八巻の妙法蓮華経に変わり、難局を逃れたという。

その後、母の病気も薬を飲まずに全治し、これは親孝行の僧侶を守った本尊の霊験であるとして、本尊の薬師如来を蛸薬師というようになったと伝えられている。

病気平癒の祈願のために参拝する人々でにぎわった参道は蛸薬師通と呼ばれるようになった。


京都市

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護国山天王寺

2013-06-15 | 仏閣
谷中霊園に行く途中、谷中の天台宗の天王寺の前を通りかかりました。



正式名称は「護国山尊重院天王寺」です。



護国山天王寺

日蓮上人はこの地の住人、関長燿の家に泊まった折、自分の像を刻んだ。長燿は草庵を結び、その像を奉安した。-伝承による天王寺草創の起源である。一般には、室町時代、応永(1294-1427)頃の創建という。
「東京府志料」は、「天王寺 護国山ト号ス 天台宗比叡山延暦寺末 此寺ハ日蓮宗ニテ長燿山感應寺ト号シ 応永ノ頃ノ草創ニテ開山ヲ日源トイヘリキ」と記している。東京に現存する寺院で、江戸時代以前、創始の寺院は多くない。天王寺は都内有数の古刹である。江戸時代、ここで”富くじ”興行が開催された。目黒不動滝泉寺、湯島天満宮の富くじとともに、江戸三富と呼ばれ、有名だった。富くじは現在の宝くじと考えればいい。
元禄12年(1699)幕府の命令で、感應寺は天台宗に改宗した。ついで天保4年(1833)、天王寺と改めた。境内の五重塔は、幸田露伴の小説、「五重塔」で知られていた。しかし昭和32年7月6日、惜しくも焼失してしまった。(台東区教育委員会)







かつて、天王寺には五重塔が存在しましたが、残念なことに焼失してしまいました。







天王寺五重塔跡  

 谷中の天王寺は、もと日蓮宗・長曜山感応寺尊重院と称し、道潅山の関小次郎長輝に
由来する古刹である。元禄十二年(1699)幕命により天台宗に改宗した。
 現在の護国山天王寺と改称したのは、天保四年(1833)のことである。最初の五
重塔は、寛永二十一年(正保元年・1644)に建立されたが、百三十年ほど後の明和
九年(安永元年・1771)目黒行人坂の大火で焼失した。羅災から十九年後の寛政三
年(1791)に近江国(滋賀県)棟梁八田清兵衛ら四十八人によって再建された五重
塔は幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとしても知られている。
 総欅造りで高さ十一丈二尺八寸(34・18メートル)は関東で一番高い塔であった。
明治四十一年(1908)六月東京市に寄贈され、震災・戦災にも遭遇せず、谷中のラ
ンドマークになっていたが、昭和三十二年七月六日放火により焼失した。
 現存する方三尺の中心礎石と四本柱礎石、方二尺七寸の外陣四隅柱礎石及び廻縁の束
石二十個、地覆石十二個総数四十九個はすべて花崗岩である。大島盈株による明治三年
の実測図が残っており復元も可能である。中心礎石から金銅硝子荘舎利塔や金銅経筒が、四本柱礎石と外陣四隅柱からは金銅製経筒などが発見されている。(東京都教育委員会)

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二重橋

2013-06-11 | 建築物
皇居正門から宮殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる二つの橋が架かっており、手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」です。



「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われていますが、厳密には奥の橋を指すそうです。 

(Wikipediaより)

「二重橋」の由来は、 奥の橋はかつて、「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため、中途に台があって二重構造となっていたことからこの名がつきました。

現在の橋は、昭和39年6に架け替えられたもので、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。

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豪徳寺

2013-06-05 | 井伊家
豪徳寺は、世田谷区豪徳寺にある曹洞宗の寺院で、招き猫発祥の地とされています。
文明12年(1480年)、世田谷城主・吉良政忠が伯母・弘徳院のために建立した「弘徳院」が前身とされています。当初は臨済宗に属していましたが、天正12年(1584年)曹洞宗に転じました。



寛永10年(1633年)彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備しました。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によるものです。



仏殿



本堂



梵鐘



三重塔



井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたという伝説があり、招き猫が祀られています。





絵馬





境内に、井伊家の墓所があり、その一角に井伊直弼の墓があります。

国指定史跡
彦根藩主井伊家墓所
豪徳寺井伊家墓所

井伊家は遠江国とうとうみのくに井伊谷いいのやを中心に勢力を持った武士で、戦国期には今川氏の配下にあった。
井伊家24世とされる直政は天正3年(1575)、15歳で徳川家康に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦においては、自ら先鋒を務め東軍の勝利に貢献した。
合戦後、直政は近江国などに18万石を与えられ、初代藩主として彦根藩の礎を築いた。
続く2代直孝なおたかも大坂夏の陣で功績をあげ、近江国、下野国、武蔵国世田谷にあわせて30万石を有する譜代大名の筆頭格となった。
以後、幕末までこの家格は堅持され、藩主は江戸城溜間たまりのまに控えて将軍に近侍し、時には大老職に就き幕府政治に参与した。
寛永10年(1633)頃、世田谷が井伊家所領となったのを機に、領内の弘徳院が菩提寺に取り立てられた。
直孝の没後には、その法号「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなみ豪徳寺と寺号を改め、以後、井伊家墓所として、江戸で亡くなった藩主や家族がここに葬られた。
墓所の北西角には、豪徳寺中興開基の直孝墓が位置し、そこから南西に直進したところに幕末の大老、13代直弼(宗観院殿)墓がある。
直弼墓に至る参道沿いには、藩主や藩主正室らの墓石が整然と並び、豪徳寺の伽藍造営に貢献した亀姫(掃雲院殿・直孝長女)墓がその中央西側に位置している。
墓所内で最も古い墓は、直時なおとき(広度院殿・直孝四男)のもので、万治元年(1658)に建てられた。
直孝が没したのは万治2年で、どちらの墓石も唐破風からはふ笠付位牌いはい型で造られている。
以降、豪徳寺に所在する藩主、正室、世子せいし、側室の墓石は、いずれもこの形式で建造された。
また、墓所の北側の一角には、早世した井伊家子息子女らの墓石に混じって、江戸で亡くなった藩士とその家族の墓石も据えられている。
これらを合わせると、墓所に所在する墓石の総数は三百基余になる。
彦根藩主井伊家墓所は、豪徳寺、清涼寺せいりょうじ(滋賀県彦根市)、永源寺えいげんじ(滋賀県東近江市)の三ヶ寺にあり、歴代藩主とその一族の墓が網羅される。
各墓所は、将軍家側近でもあった井伊家の姿を物語り、江戸時代の幕藩体制と大名文化を考える上で欠くことのできない貴重な遺産であるため、一括で「彦根藩主井伊家墓所」として、平成20年3月28日、国史跡に指定された。
世田谷区教育委員会(説明板より)



井伊直弼の墓



都史跡 井伊直弼墓

井伊直弼(1815~60)は彦根藩主直中の子で、兄を継ぎ藩主となり、ついで安政5年(1858)4月大老になる。
勅許を待たず日米修好通商条約など安政5ヶ国条約に調印。
また13代将軍家定の後継者を慶福(のちの家茂)に決定し、反対派の一橋慶喜らを抑えるという強い政策を実施。
さらに安政の大獄を断行するに及んで、常に暗殺の危機にさらされ、遂に安政7年3月、江戸城外桜田門外において、水戸・薩摩の浪士らに暗殺された。
世田谷郷は井伊家領であり、直弼は豪徳寺に埋葬された。
墓石の高さは342センチ、正面に「宗観院殿正四位上前羽林中郎将暁覚翁大居士」とある。

東京都教育委員会(説明板より)

4月下旬、つつじやボタンが見頃でした!(^^)!







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