日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

嵯峨野の落柿舎

2017-12-31 | 建築物
嵯峨野の落柿舎は、松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた草庵です。





現在の建物は後年に再建されたもので、去来が使用していた当時のものとは場所も異なります。





「落柿舎」の名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによるもので、芭蕉も3度訪れて滞在しているそうです。



去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』によると、
日頃去来は、管理人にこの庵を任せていた。この庵の周囲には40本の柿の木があったという。ある時(1689年(元禄2年)頃)、去来がちょうど在庵中に、都から柿を扱う老商人が訪ねてきて、庭の柿を(生っている木の単位で)買い求めたので、去来は売る約束をして代金を受け取った。しかし、その夜に嵐が吹いて、一晩にして柿がすべて落ちてしまった。翌朝来た老商人がこの有様に呆然としつつ、代金を返してくれるよう頼み込み、去来はこれを不憫に思って柿の代金を全額返した。この老商人が帰るにあたって去来は友人あての手紙を託したが、その中で自ら「落柿舎の去来」と称したという。(Wikipediaより)









明治三十五年、昭憲皇太后が嵯峨天皇の皇女・有智子内親王を称えられた御歌。





芭蕉が『嵯峨日記』の最尾にしるした句。





高浜虚子の生前最後の自筆句碑で、破調吟としてよく知られています。






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東福寺の塔頭(1)万寿寺

2017-12-19 | 仏閣
万寿寺の起源は、平安時代後期、白河天皇が六条内裏に建てた六条御堂にさかのぼり、皇女・郁芳門院(媞子内親王)の死を悲しんだ天皇が菩提のために六条御堂を建てたといいます。



かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山のひとつとして栄えましたが、永享6年(1434年)の火災後、衰微。



天正年間(1573年-1592年)には五山第4位の東福寺の北側にあった三聖寺の隣地に移転。



三聖寺は鎌倉時代には禅宗式の大伽藍を持つ有力寺院でしたが次第に衰微し、明治6年(1873年)に万寿寺に合併され、明治19年(1886年)には万寿寺が東福寺の塔頭となりました。


鐘楼(重要文化財)は、室町時代の建築で、上層に鐘を吊り、下層は門を兼ねています。





元は三聖寺の建物で、現在は東福寺の所有となっているそうです。

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檀林皇后ゆかりの檀林寺

2017-12-08 | 仏閣
檀林寺は、承和年間(834年~848年)、嵯峨天皇の皇后・檀林皇后(橘嘉智子)により嵯峨野に創建されました。



開山は唐僧義空。

京都で最初に禅を講じた寺として、門前には禅の発祥を表す「山城国 一ノ寺 檀林寺」と刻まれた大きな石標が立っています。



盛時は塔頭十二坊の壮大な寺院でしたが、皇后の没後は衰退、平安中期に廃絶し、その跡地に天龍寺が建てられました。









八角形灯籠






霊宝館


昭和39年(1964年)に現在地に再興され、霊宝館には、皇后ゆかりの品をはじめ、日本、中国の仏教美術が展示されています。

森青蛙が生息する瓢箪池



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