景清爪形観音は、清水寺の随求堂の前に立つ石灯籠の火袋の中にある小観音像です。
三重塔の裏側に当たります。
景清は、平氏の侍大将で平景清とも呼ばれていますが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいい、「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であったそうです。
大河ドラマ「平清盛」では、伊藤景清の名が使われていましたね。
景清は、壇ノ浦の戦いで敗れた後に捕られ、預けられた八田知家の邸で絶食し果てたといわれていますが、異説もあります。
景清爪形観音に伝わるのは、景清は、源頼朝の命を狙って、清水寺に潜んでましたが、失敗し捕えられ、「源氏の世は見られぬ」と自らの目玉を刳り抜き清水寺に納めたという伝説です。
また、景清は、謡曲や歌舞伎、浄瑠璃にも登場します。
この悪七兵衛観音は、景清が爪で刻んだと伝えられています。
細長い穴が二つ開いていて、中に小さな石仏が納められているそうですが、覗いても見えませんでした。
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景清は、平氏の侍大将で平景清とも呼ばれていますが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいい、「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であったそうです。
大河ドラマ「平清盛」では、伊藤景清の名が使われていましたね。
景清は、壇ノ浦の戦いで敗れた後に捕られ、預けられた八田知家の邸で絶食し果てたといわれていますが、異説もあります。
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また、景清は、謡曲や歌舞伎、浄瑠璃にも登場します。
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