日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

常光寺(4)森本行誓宝筐印塔

2016-08-30 | 

森本行誓もりもと こうぜい(七郎兵衛貞治)は、久宝寺村の年寄で、林田善右衛門、満田六左衛門、松井源左衛門、杉本孫右衛門と共に、慶長11年(1606)に八尾に移住し、八尾寺内村の開発や八尾御堂大信寺の建立に尽力、現代の八尾市発展の基礎を築いた人です。

この常光寺の宝筐印塔は、行誓の百五十回忌の時、子孫が建立したものだそうです。





以下、Wikipediaの説明です。

もともと久宝寺村内で生まれ、当地の有力者だったが、当時の久宝寺寺内町は、織田信長に忠誠を示していた安井氏が久宝寺御坊顕証寺から町内の支配を任されており、町内の有力農民らは、かねてから安井氏の支配方針に反発していた。安井氏の町内の支配は 織豊政権→徳川政権に代わっても続いていた。

慶長年間(1596年~1614年)に本願寺が東西に分裂すると、顕証寺は西本願寺に属したが、同じく久宝寺寺内町にあった慈願寺は東本願寺に属した。 慶長11年(1606年)11月に、七郎兵衛ら有力農民は奉行衆へ安井氏の行為が正当でないと訴え出た。
しかし、安井氏はこの訴えに対して徳川家康に反訴し、結果、七郎兵衛らの訴えは却下される[2]。訴えに関与した七郎兵衛ら17人衆および彼らに与した慈願寺は久宝寺を退去させられることとなったが、徳川家康は東本願寺派の教如に八尾庄の四町四方の地を与え、17人衆および慈願寺は慶長11年(1606年)にこの地に移住・荒れ地を開墾して八尾御坊大信寺を中心とした寺内町・在郷町の整備を主導した。

旧跡

八尾寺内町移住後の七郎兵衛の住居は、寺内町東門(現在の本町1丁目交差点付近)に近い場所にあり、現在の八尾市本町二丁目の大阪シティ信用金庫八尾営業部(旧大阪東信用金庫本店、旧八光信用金庫本店)の場所に当たる。平成18年12月に店舗正面壁ぎわに「八尾寺内町顕彰碑」が建てられた。顕彰碑には、「森本七郎兵衛旧宅跡」と記されている。

墓所は八尾寺内町の北外れにある常光寺にある。境内の西北に高さ221センチの宝筐印塔があり、百五十回忌の時に当時の子孫により寄進されたもの[4]である。正面に「森本行誓居士」、横に俗名『森本七郎右衛門貞治 河州渋川郡久宝寺村産住 慶長十一年丙午十二月同州若江郡八尾寺内村開発移住 元和五年己末正月十七日歿』と記されている。

八尾天満宮の境内には行誓の六代の孫である房吉が寄進した灯籠がある。

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常光寺(3)八尾別当顕幸の墓

2016-08-19 | 仏閣
楠正成の家臣・八尾別当顕幸が、当寺にあって大いに南朝のために尽したそうです。

その顕幸の墓は、現在も本堂横の墓地に残っています。




寺伝によると、

多田満伸の子・賢快が初め、八尾別当職に任じられ、八尾僧正に称された。顕幸はその十世の孫で、八尾城主として権勢を持ち、後に楠木正成公の八臣の一の家来となり、大いに南朝方に尽した武士であり、権僧正でもあった。
正成の湊川戦死の後、顕幸は和田・恩智両氏と共に正成の子正行を助けたが、延元三年(1338)八尾城で病死し、この地に葬られたと伝えられている。



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常光寺(2)本堂(大阪)

2016-08-07 | 仏閣
常光寺は、奈良時代に僧行基が創建したと伝えられています。
当初は「新堂寺」と呼ばれていました。

南北朝期に戦乱で寺は焼かれ、荒廃しますが、至徳2年(1385年)に土豪・藤原盛継により復興、翌年に地蔵尊・阿弥陀堂などを再建されました。

室町時代に足利義満から、自筆の 「初日山」「常光寺」 の額が納められ、常光寺と呼ぶようになりました。

1615年の大坂夏の陣では、当寺を中心に藤堂高虎(徳川方)と長曽我部盛親(豊臣方)との決戦が行われましたが、この寺を以心崇伝が抱え寺としていてため、徳川家康が「寺を荒らすな」との制札を発して、心無い雑兵の乱暴を厳重に戒めたため、寺は被害も受けなかったそうです。

高虎は本堂の北の方丈の縁側に敵方の首級を並べて長曽我部方戦死者の首を廊下に並べ、首実検をしたといいます。後にその縁板を方丈の西廊下の天井として貼り替えたため、血天井と称されています。

そのとき討死した藤堂家家臣七一士の墓も、本堂後ろに並んでいるそうです。


本堂



ちょうどこの時、本堂の改修工事が行われていたため、見学はできませんでした。

鐘楼


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