日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

間内の浅井長政像

2011-09-22 | 浅井長政
先日、犬山城へ行った帰り、名鉄小牧線で南に向かっていたら、間内駅を通過する際、車窓から鎧姿の武将の像が見えました。



その時、ふと「あれだ~!」と思いだし、降りる予定ではなかったのですが、途中下車してしまいました。
以前、浅井長政の子孫が移り住んだ場所に長政の像があるという話を耳にしたことがあったので。
こんな駅の近くにあるとは思いませんでしたが



小谷城落城後、織田信長の命により、長政の嫡男・万福丸は、秀吉によって殺されましたが、次男の万寿丸は、まだ赤児だったため、殺されず、後に出家させられたとも言われています。(万寿丸については諸説あり)
長政は側室・八重との間に七郎という男の子があり、八重は七郎を連れ、美濃に逃れたのですが、元禄元年(1592)七郎が20才の時にこの牛山村に移り住み、慶安3年(1650)この世を去りました。
その後も七郎の子孫が代々、間内駅横のこの地に住み、庄屋の家として幕末まで続きましたが、9代目・新七は大正2年(1913)故あって神奈川県藤沢市に転居したそうです。



この像は、牛山浅井家の子孫が、先祖の霊を慰め、元屋敷跡地(1447坪)に浅井長政の銅像を建立したもので、 この辺りが浅井家の屋敷跡です。
(屋敷跡の石碑に気づかず、撮り逃しました~)



牛山浅井家
長政-七郎-七蔵-弥蔵-新四郎-常右門-新左エ門-新四郎-新左エ門-新七-十代嗣-武雄

この地で、浅井家の血筋を絶やすことなく、受け継がれていったのですね。
しかし、この長政像、見慣れた肖像画のイメージとはずいぶん違うな~


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コメント (2)
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