日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

木村重成の銅像・重成の本陣

2016-09-25 | 銅像
蓮城寺から歩いてすぐの場所に、昭和7年(1932)に建てられた木村重成の銅像があります。






この辺りが、若江の戦いの重成の本陣だったそうです。



若江の戦い
1615年5月6日午前5時頃、木村勢は若江に着陣、先鋒を3手に分け、敵に備えた。その右手に藤堂勢の右先鋒、藤堂良勝、同良重が攻撃をかけた。藤堂勢は兵の半数を失い敗走、藤堂良勝、良重は戦死した。 木村は玉串川西側堤上に鉄砲隊を配置し、敵を田圃の畦道に誘引して襲撃しようともくろんだ。

午前7時頃、井伊直孝は若江の敵への攻撃を決断、部隊を西に転進させた。井伊勢の先鋒は右手庵原朝昌、左手川手良列。木村勢を発見した川手は、玉串川東側堤上から一斉射撃後、敵に突入した。堤上にいた木村勢は西に後退し、堤は井伊勢が占拠した。川手はさらに突進したが戦死した。そこに庵原も加わり激戦となった。木村重成は自身も槍を取って勇戦したが戦死した。山口弘定、内藤長秋も戦死し、木村本隊は壊滅した。

それまで戦闘を傍観していた幕府軍の榊原康勝、丹羽長重らは味方有利と見て木村勢左先手木村宗明を攻めた。宗明は本隊が敗れたため大坂城へ撤退した。(Wikipediaより)


他の碑は、このように、なぜか倒れたま置かれていました。




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木村重成の菩提寺・蓮城寺

2016-09-17 | 仏閣
東大阪市の蓮城寺は、豊臣方武将・木村重成の菩提寺で、若江の戦いの際、重成はこの辺りに布陣しました。



母の宮内卿局(一説には右京大夫局とも)は豊臣秀頼の乳母となり、重成は幼少から秀頼の小姓として仕えたといわれています。

慶長19年 (1614) 大坂冬の陣には玉造口を守備し奮戦。

元和1 年(1615) の夏の陣で、長宗我部盛親らと出撃し、八尾・若江で井伊直孝、藤堂高虎と戦って戦死しました。

境内には重成の位牌堂があります。



重成の肖像画、側が重成と夫人の位牌、左側が、加藤清正像










成は戦いの前に死を覚悟し、討ち取られた際も見苦しくないよう、頭髪を清めて香を焚き込めていたそうです。

本堂


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若江鏡神社

2016-09-09 | 神社

東大阪市若江に鎮座する若江鏡神社





若江鏡神社は、平安時代の記録「延喜式」にのせられている古社のひとつで、大雷大神・足仲彦命・息長足姫命の三神を祀っています。
「文徳実録」の斉衡元年(854)の4月の条には、「授河内国大雷火明命従五位下」と記されています。
本殿は、銅板葺き三間杜流造りですが、実際は一間社流造の社殿を二棟つないだもので、中の間は板壁で囲まれた相殿となり、御神体はまつられていません。
本殿は、文政11年(1828)に再建されたものと考えられています。
なお、当社には市指定文化財として、大般若経600巻もあります。



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