日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

毛利庭園

2014-05-30 | 史跡
六本木ヒルズの毛利庭園に行って来ました。



蜘蛛のモニュメント



こんな現代アートもありますが、歴史を遡れば、毛利庭園は、毛利綱元の麻布上屋敷の跡地です。



以下、Wikipediaからの抜粋です。

嘉永12年(1849年)、のちに陸軍大将となる乃木希典が藩邸の侍屋敷で生まれ、幼年期を過ごした。
幕末には、禁門の変や長州征伐に対する幕府からの仕置きとして、長州藩・清末藩・徳山藩と共に江戸藩邸を没収された。
明治20年(1887年)、増島六一郎が取得して自邸とし、庭園を"芳暉園"と名付ける。
大正8年(1919年)4月、"乃木大将誕生地"として、旧跡(現東京都旧跡)に指定される。
昭和18年(1943年)3月、"毛利甲斐守邸跡"として、旧跡に指定される。
再開発により建設された六本木ヒルズが平成15年(2003年)4月にオープン。
同ビルの日本庭園が毛利庭園と名付けられる。







ここが六本木のど真ん中とは思えませんね。

まさに都会のオアシスです。

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日比谷公園・日比谷見附跡

2014-05-26 | 史跡


日比谷公園は、1903年に開園したドイツ式庭園で、以前は、長州藩毛利家上屋敷・佐賀藩鍋島家の跡で、明治の火災で焼失したのち、陸軍練兵場となっていました。



今では高層ビルの谷間の市民の憩いの場となっていますが、その中に史跡も残されています。



日比谷交差点の有楽門から入るとすぐに左手の石垣と池が見えます。

日比谷見付跡





日比谷見付跡は、江戸城の見附のひとつで、日比谷御門があったところです。日比谷御門は城の外側から順に、高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣で囲まれていましたが、それらは明治初期に撤去され、現在は石垣の一部が残っています。

心字池







日比谷公園ができるまでは、濠になっていましたが、公園造成の際に心字池としてその一部が残されました。

池のほとりに、伊達正宗終焉の地の案内板があります。



ここは、初代仙台藩主 伊達政宗が七十年の生涯を閉じた仙台藩上屋敷があったところで、政宗が1601年に徳川家康から江戸城に近い外桜田に江戸屋敷を与えられ、1661年まで伊達家の上屋敷として使用されていたことや、政宗が家康、秀忠、家光の三代の将軍をこの屋敷でもてなしたとのことです。

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南町奉行所跡

2014-05-24 | 史跡
東京・有楽町の歴史を追って歩いてみました。

有楽町の町の名前といえば・・・すぐにある人物の名が浮かぶことでしょう。

そう!織田有楽斎です。

現在の東宝ツインタワービルの前から日比谷シャンテにかけて、江戸時代初期、織田信長の弟・織田有楽斎の屋敷があったといわれています。





明治に入り、有楽町の名前がうまれたそうです。

JRのガードをくぐった辺りは、数寄屋橋門のあったところで、有楽町マリオンが、南町奉行所跡で、東京交通会館の通りの南側に碑があります。

今まで何度も通っていながら、この案内板に気付かないでいました。(^_^;)



う~ん、たしかにこれはわかりにくい(-_-;)








東京都指定旧跡

 南町奉行所跡

 江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつでした。その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名で南北両奉行に分かれ月番で交替に執務していました。名奉行大岡越前守忠相は、享保2年(1717)から元文元年(1736)にかけて南町奉行としてここで執務をしていました。

 南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にありました。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土蔵などが発見されました。また、「大岡越前守屋敷」と墨書きされた荷札も出土しました。  
 再開発事業では、石組下水溝の一部をここに再現するとともに、石材を事業地内でベンチなどに活用しています。

 所在地 千代田区有楽町二丁目


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上野東照宮(2)

2014-05-15 | 神社
それでは透塀の中に入って行きます。







透塀内から見た社殿をご覧ください!





鮮やかな金色、手の込んだ彫刻を目の当たりにできます。



透塀を内側から撮影。





















唐門の彫刻





葵の御紋



この時、有料エリア内に入った人が少なく、ゆったりと見学できました。



参道沿いのツツジが満開でした!




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上野東照宮(1)

2014-05-12 | 神社
先月、上野東照宮へ行って来ました。



ちょうどぼたん苑が公開されていました。



が、この日は時間の都合でカット。



ぼたん苑前の↑の花で我慢がまん(^_^;)



参道を先に進みます。



諸大名から寄進された石灯籠がずらりと並びます。



旧寛永寺の五重塔が見えます。



寛永寺創建以前の上野の山には、藤堂家の下屋敷がありました。

社殿によれば元和2年(1616年)2月4日、危篤の家康から藤堂高虎と天海僧正は、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受け、寛永4年(1627年)、藤堂高虎が敷地内に東照宮を創建しました。

現在の社殿は慶安4年(1651年)徳川家光が改築したものです。



平成21年(2009年)1月から平成25年(2013年)まで社殿の修復工事が行われ、平成26年(2014年)から公開されています。

唐門


柱の内外四額面には、日光東照宮の「眠り猫」で有名な左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」の彫刻があり、毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。

金色ピカピカ鮮やかな色に生まれ変わりましたね!

透塀


上欄には山野の動植物、下欄には海や川の動植物が彫刻されています。

600円の拝観料で透塀内を見学できます。

ということで、中に入ります!

(続く)

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