日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

野間の密蔵院

2012-08-30 | 源義朝
密蔵院(みつぞういん)





当寺は、父・源頼朝が父・源義朝供養のため建てた寺とされています。



本堂に安置されている不動明王は鎌倉期の作とされ、その他には「かじとり観音」と呼ばれる如意輪観音などがまつられています。

本堂





寺の奥には「はりつけの松」があります。

由緒

白河天皇の勅願所大御堂寺の一山で宝乗坊と号し、大坊の別当職に対して学頭職の寺であった、宝暦年間に密蔵院と改称した。
本尊不動明王、瀬戸の雲興寺と並んで盗難よけの霊場として有名である。

かじとり観音







霊験あらたかな観音様で交通安全はもとより家庭平和のかじ等諸々のかじをおとり下さって、誰にでもご利益をお与え下さいます。昔から願などかける人多く、赤門は夜も閉めない門となっている。
大御堂一山の古絵図、尾張光友公絵図、長田屋敷跡に出土の弥生式土器
裏山に「長田の磔松」がある。(案内版より)


不動堂





弘法堂







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織田信孝が自刃した安養院

2012-08-25 | 織田信孝
愛知県の野間に出かけて来ました。



今年は源義朝ゆかりの地の幟が立っています。



安養院(あんよういん)「知多四国第五十三番」「開運七ヶ寺第六番」



安養院は承暦年間白河天皇の発願で大御堂寺の一院で、1190年(建久元年)源頼朝公先考菩提の為創建。

本尊阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩(藤原期の作)、地蔵菩薩



1583年、羽柴秀吉に岐阜城を追われた織田信長の三男・織田信孝が自害した「信孝自刃の院」があります。

辞世の歌「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいをまてや はしば筑前」を書いた後、腹をかき切って自ら腸をつかみ出すと、床の間にかかっていた墨梅の掛け軸に投げつけたといわれています。

その血の跡が掛け軸に残っていて、掛け軸に描かれた梅の花は、四季折々に色を変えると伝えられているそうです。

何とも恐ろしい(*_*)

信孝の墓は、大御堂寺(野間大坊)にあります。

怒りを込めた辞世の句、血染めの掛け軸や自刃の短刀、自刃の間は非公開ですが、そのパネルを見せていただいたので、写真を撮らせていただきました。

掛け軸の左下が血の跡、手前に置かれているのが短剣です。






境内の樹齢600年の蘇鉄は、「あいちの巨木」に指定されています。







本堂



地蔵堂



辺りはのどかな景色が続いています。



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