日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

皆様へ

2012-12-31 | その他
当ブログを訪問してくださった皆様へ

今年もたくさんのコメントありがとうございましたm(__)m

これからもマイナーな史跡からメジャーな史跡まで

日本各地を旅しながら紹介していきたいと思っています。

来年もよろしくお願いします。

良いお年をお迎えくだい。
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大津事件の碑(露国皇太子遭難地の碑)

2012-12-29 | 石碑

明治24年、来日中のロシア皇太子が大津訪問中、警備中の巡査津田三蔵に斬りつけられた事件で、のちに行政の干渉を受けず、司法権独立を守ったとして有名になったところです。







JR琵琶湖線「大津駅」下車 徒歩 5 分
京阪電鉄/石山坂本線「浜大津駅」下車 徒歩 5 分

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天孫神社

2012-12-20 | 神社
天孫神社(てんそんじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社です。

大津駅から、琵琶湖方面に5分ほど歩いたところにあります。
四宮神社と称されていましたが、明治初期の現在の社名になりました。現在でも、地元では「四宮さん」と呼ばれています。
当社の例祭が「大津祭」です。

当社は延暦年間に創祀と伝えられるが、其後の沿革は古伝によると大同三年(806~809)に平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在所として禊祓された。また建久年間(1190~1198)近江守護佐々木定綱が社殿造営、新田の奉納があった。



また元亀年間(1570~1572)栗太郡青地の城主青地伊予守より所領の寄進があり、豊臣秀吉が大津城築城の際にその余材をもって当社を修復された記録がある。
又当社は日吉山王の信仰と深い関わりがあり、山王祭には当社と日吉大社の間に大榊の神事があり、即ち四月三日の夜当社より日吉大社に多数が赴き、日吉の大榊を持ち帰り、これを「しんの御榊」として拝殿に祀っておき、山王本祭の四月十四日この大榊を引いて再び日吉大社に返す神事で、この大榊が帰って初めて山王七基の神輿が唐崎に神幸するのである。



この大榊の神事は日吉の祭も白鳳年中(672)より延暦九年までは神輿は無く榊を以て渡御していた名残とする説や、当社の氏子が山王信仰の顕現として夜密かに日吉神を榊に遷して盗み帰り崇拝したもの等種々伝えられるが、これを儀式化した神事である。(天孫神社HPより)







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源頼朝が戦勝祈願した「旗神さま」

2012-12-12 | 神社
滋賀県愛荘町の豊満神社は、神功皇后軍の軍旗を祀って創建されたと伝えられ、「お旗さん」の名前で親しまれています。



社伝によると、豊満神社の祭神が軍旗の守護神となり、神功皇后軍を勝利に導いたと伝えられています。



そのため、当社の境内の竹を旗竿に使えば戦さに勝つといわれ、源頼朝をはじめ、近江の守護佐々木氏、六角氏、豊臣秀次など多くの武将が戦勝祈願をおこないました。

また、鎌倉時代に建立された四脚門は、国指定の重要文化財となっています。













ここに着いたのは、夕方で、後もう少しで日が落ちるところでした。
ぎりぎり間に合って良かった!

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手児の呼坂

2012-12-05 | 石碑
岳南鉄道の岳南原田駅から歩いて15分ほどのところにある原田公園の一角に、「手児の呼坂」の碑があります。





手児の呼坂の由来

昔このあたりに、一人の娘が住んでいました。心やさしく美しいこの娘に村の若者たちはほのかな思いを寄せていました。
ある夏の夕方のほとりです。松原川のほとりを散歩していた娘は一人の若者は、十里木を越えてやって来たアイヌの若者でした。
村の若者たちは嫉妬し、二人の結婚の邪魔をしました。
娘は大変悲しみ、この坂の下でいつまでも若者の名を呼び続けていたということです。
以来この坂を『手児(娘の意味)の呼坂』と呼ぶようになりました。



その後、娘はやせ細り、ひとり川辺を歩いていると、蛍の集団が娘の回りを取り囲み、花車に乗せて天高く舞い上がり、愛鷹山を目指して消えていったといいます。

かぐや姫伝説と似ていますね。

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