日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

岩佐又兵衛「浄瑠璃物語絵巻」(2)

2022-09-13 | 浄瑠璃姫
※2014年の秋に、熱海のMOA美術館で催された展覧会を振り返っています。
 
 
この展覧会は、岩佐又兵衛の三大絵巻を同時公開ということで、前々から楽しみにしていました。
 
展覧会場内はもちろん撮影禁止なので、私が事前に購入したMOA美術館所蔵「岩佐又兵衛作品集」から何場面が紹介します。
 
『浄瑠璃物語』

奥州へ下る牛若と三河矢矧の長者の娘浄瑠璃との悲恋物語。

15歳の春、鞍馬を出た牛若は奥州を目指す。


浄瑠璃姫と出会い、恋に落ちる牛若

 




 
しかし、先を急がなければならない牛若は、浄瑠璃姫と別れる。
その悲しさと旅の疲れからか、牛若は病に。

源氏に伝わる宝物が、大蛇、白鳩、烏、小童に姿を変え、牛若を守る。


後に浄瑠璃姫を再会した牛若は、平家討伐の暁には、浄瑠璃姫を北政所にすることを約し、大天狗・小天狗に姫を送り届けるように頼む。


といった展開で進んでいきます。

又兵衛の絵は、愛と復讐の物語というテーマで、凄惨な合戦場面や惨酷な殺戮場面が描かれている点が共通しています。
 

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岩佐又兵衛「浄瑠璃物語絵巻」(1)

2022-09-05 | 浄瑠璃姫
2014年の秋のことですが、熱海のMOA美術館で開催された岩佐又兵衛の「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」という展示会へ出掛けて来ました。



  

岩佐又兵衛といえば、今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも一躍有名になった黒田官兵衛を有岡城に幽閉した荒木村重の子どもで、落城の際、城の残された荒木一族・郎党は惨殺されましたが、幼子であった又兵衛は乳母に救い出され、京都の本願派寺院あるいは石山本願寺に保護されました。 成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り、信長の息子織田信雄に近習小姓役として仕え、信雄の改易後は「勝以」と改名し、京で絵師の修業を積んだといいます。

この又兵衛の作品の一つに「浄瑠璃物語絵巻」があり、義経浄瑠璃姫の物語が描かれています。


展示会場まで、この近未来的なエスカレーターに乗って行きます。


色も少しずつ変わっていくのですよ。

 
 
円形ホール

まるでUFOのようですね(@_@;) 

いったいいくつのエスカレーターに乗り換えるのでしょう?


両サイドに上下1基ずつ、計14基、総延長は約200m、高低差は約60にも及ぶそうです。


ようやく本館展示場のフロアーへ



 

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鳳来寺の浄瑠璃姫と義経の彫像

2022-08-27 | 浄瑠璃姫
鳳来寺の表参道の「歴史が歩いた坂道」には、「浄瑠璃姫と義経」の彫像があります。


平成8(1996)年3月に整備され、彫像は、鈴木武右衛門氏によるものです。

 

義経
                

浄瑠璃姫

数年前に見たときも思ったのですが、あまりに芸術的過ぎて、理解できなかったのですが、この苦しみもがいている様子が、二人の悲恋を表しているのでしょうか。

   
 
浄瑠璃姫と義経    平家が都で全盛を誇っていたころ、岡崎の近くの矢作の里に、兼高長者という金持ちの権力者が住んでいました。長者には、鳳来寺のお薬師様に祈願して生まれた、浄瑠璃姫という美しい一人娘がありました。 姫が15歳の春、平家の目を逃れ、藤原氏を頼って奥州へ向かう義経が、源氏とつながりのある兼高長者の家に泊まりました。姫と義経は愛し合うようになりましたが、義経はいつまでもいることはできません。 「半年たったら、鳳来寺の千寿峰(せんじゅがみね)で私を待て」と言った義経の言葉を信じて、姫は乳母とともに千寿峰に来て、麓の笹谷(ささだに)に庵をつくって住みました。ある日、義経が通るといううわさを聞き、往来まで出て道行く人にたずねると、もう義経は通り過ぎてしまったということでした。悲しんだ姫は庵のほとりで自害してはかない一生を終えました。 今も千寿峰の西の山の中に、浄瑠璃姫をまつる祠があります。(案内板より)

 

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蒲原に伝わる浄瑠璃姫の伝説(3)浄瑠璃姫の墓、浄瑠璃姫の碑、吹き上げの六本松

2022-08-16 | 浄瑠璃姫

蒲原の新栄六本松公園の北側には、浄瑠璃姫の墓浄瑠璃姫の碑吹き上げの六本松があります。

浄瑠璃姫は、義経を追ってここまで来ましたが、力尽きてここ吹き上げの浜で亡くなったといいます。

里人は浄瑠璃姫を哀れんで丁重に葬り、塚の上に目印として松を6本植えたと伝えられています。  

浄瑠璃姫の碑・吹き上げの六本松

浄瑠璃姫に関する伝説はいくつかあり、そのひとつがここ蒲原町に残っています。 浄瑠璃姫の碑には、恋い慕う義経を追ってきた三河国矢作の浄瑠璃姫が、吹き上げの浜で疲れ果てて亡くなったと記されいます。 天正時代の頃(1580年)に小野於通(おのおつう)という女性によりまとめ上げられた「浄瑠璃十二段草子」という本には、里人によって吹き上げ浜に追われた瀕死の義経が、浄瑠璃姫の涙の雫により甦ったという筋書きになっています。 それに節をつけて語ったものが人気を呼び、「浄瑠璃」という江戸時代の代表的な芸能に発展していきました。  吹き上げの六本松 吹き上げの六本松は、浄瑠璃姫を葬った里人が姫を哀れんで植えたとも、塚の上に目印として植えられたとも言われています。やがて、大きな木に成長すると東海道を渡る旅人の目印となったと「東海道名所図解」に示されています。 永禄12年(1559年)12月、蒲原城が武田軍により落城した時、この六本松の辺りに本陣を置いて勝ち鬨を挙げたことが「甲陽軍艦」に記されています。 静岡市

 

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蒲原の浄瑠璃姫伝説(2)源義経の硯水跡

2022-08-08 | 浄瑠璃姫
蒲原の駿河モータースの横に源義経硯水跡があります。

 

 

 ここは蒲原木之内家菩提所で、1167年(仁安2年)に作られ、蒲原一族初代・清實以後と浄瑠璃姫等の五輪の墓が建てられました。

 

 

 

1174年(承安4年)義経が東に下る時にこの菩提所の涌き水を使って浄瑠璃姫に手紙を書いたといわれています。
 
手紙を読んだ浄瑠璃姫は、義経を追いかけて来たのですが、病で倒れこの地で亡くなりました。

1817年(文化14年)には地蔵尊が建てられ、「いぼ神様」として尊ばれ、義経硯水の水をイボにつけると、イボが落ちるという霊験を願って参拝者が絶えなかったのですが、旅人に持ち去られ、36代勝則によって再建されました。

 

 

1933年(昭和8年)国道工事のため、墓地は北に移り、面積は縮小し、現在の形となりました。残念ながら涌き水は涸れてしまいました。

 

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