日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡を巡っています

石田三成ゆかりの地(2)佐和山一夜城

2018-10-09 | 
石田三成の居城だった佐和山城を再現した「佐和山一夜城石造」が、彦根市古沢町の佐和山ふもとにある佐和山会館の敷地内に設置されています。
 
 
  
2012年彦根商工会議所青年部の創立30周年記念事業により、彦根市の石材店が、地元の寺に残っていた古図などを参考に制作したそうです。
 
 
 
 
 
 
平成19年に開かれた彦根城築城400年祭の時に、同祭実行委員長だった北村昌造・彦根商工会議所会頭の提案で、高宮町の田中家石材(田中寿信・代表取締役)が佐和山一夜城の製作に取りかかった。
 佐和山城の天守には三層説と五層説があるが、西明寺所蔵の絵馬「石田三成居城佐和山城之図」や龍潭寺(古沢町)所蔵の屏風絵にある五層天守をモデルに、京都の建築デザイン学校の生徒らが図面を作成。その後、田中家石材が仕事の合い間を縫って製作に入り、黒御影(みかげ)石や白御影石などを使って平成22年1月に完成させた。高さ約2・1㍍、土台の底が1・7㍍四方。天守の内部にライトを配し、日没後は窓から灯りが漏れるようになっている。
 同会議所青年部の創立30周年を記念し、同会議所が購入。佐和山会館前に設置した。
(2012年2月5日 滋賀彦根新聞記事より)
 
 
彦根城より佐和山を望む
 
 

 

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石田三成ゆかりの地(1)仙琳寺

2018-09-28 | 仏閣
彦根市古沢町の愛宕山にある仙琳寺
 
 
 
彦根藩四代目藩主・井伊直興の子・千代之助が出家し、本空と改名した後に開基した寺なのだそうです。
 
 
 
 
 
 
周辺には竹やぶが広がっているため、仙琳寺を新たな観光名所にしようという仙琳寺プロジェクトが、竹やぶ整備し、石垣や石田三成が水を汲んだと伝わる井戸を確認したといいます。
 
 
領民たちが供養のため隠し持っていたという「石田地蔵」を安置しています。
 
 
 
この近くに、石田三成屋敷跡の碑を発見したのですが、twitterのフォロワーさんの情報では、この碑の場所は正しくないそうです。
 
 
 
 
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近江鉄道サイクルトレインの旅(14)井伊家ゆかりの社寺・彦根大仏の済福寺

2018-09-19 | 仏閣

近江鉄道「ひこね芹川駅で下車し、自転車で済福寺に向かいました。

井伊家ゆかりの社寺めぐりの第3番札所のお寺です。

済福寺は、400年前の大阪城落城の後、二十有余万人戦没者供養のために彦根藩4代目藩主井伊直興により、城南の守護寺として建立されました。

黄檗宗のお寺独特の雰囲気がありますね。



本堂

 彦根大仏と呼ばれている本尊・大仏延命地蔵菩薩は、江戸時代の文化年間、十一代藩主・井伊直中の時に作られて以来「芹のおおぼとけ、彦根大佛」の名で親しまれています。



その胎内には、直中が夢のお告げにより寄進した胎内仏「安産地蔵尊」が祀られ、子宝・安産の祈願寺としての信仰を集めています。

台座から光背までの高さが6メートルの寄木造で、日本最大級の木造地蔵尊といわれています。


観音堂



近江鉄道サイクルトレインについてはこちらをご覧ください。
http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/cycle/index.html/

 



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近江鉄道サイクルトレインの旅 (13)専宗寺

2018-09-08 | 史跡
次は、石田三成ゆかりの鳥居本の専宗寺(せんしゅうじ)に向かいました。
 
 
 
 
専宗寺は、文亀2年(1502)および天文5年(1536)の裏書のある開祖仏を有する浄土真宗本願寺派の古寺で、聖徳太子開創と伝わります。かつては、佐和山城下町本町筋にあり、泉山泉寺と号していましたが、寛永17年(1640)に、洞泉山専宗寺と改め、ここ西法寺村に移ってきました。本堂などの建立時代は18世紀後半のものと推定されています。西法寺村は、佐和山山麓にあった元の集落(古西法寺村)から寛永年間に街道沿いに移されました。
 
 
 
二階建ての太鼓門櫓の天井板は、佐和山城の遺構で、搦手門脇門の扉板だったと伝わっています。
 

三成を慕う足軽達が、佐和山城の落城の際、運び出した門だとされています。
 
 

近江鉄道サイクルトレインについてはこちらをご覧ください。
http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/cycle/index.html/

 
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近江鉄道サイクルトレインの旅(12) 鳥居本宿

2018-08-28 | 建築物
五個荘から鳥居本
 
 
 
近江鉄道鳥居本駅は、レトロ感漂うお洒落な洋館駅舎。
 
 
 
かつては駅構内に日本石油米原油槽所があり、構内に小規模の荷役線が敷かれていた。当駅から彦根駅を経由して安治川口駅までタンク車による石油輸送が行われており、当駅 - 彦根駅間が近江鉄道で最後まで残った貨物列車運行区間であったが、油槽所閉鎖に伴い1988年に廃止され近江鉄道の貨物輸送は幕を閉じた。 (Wikipediaより)
 
 
 
駅舎は、国の登録有形文化財に登録、第4回「近畿の駅百選」に選ばれています。
 
彦根には2つの中山道宿場街「鳥居本宿」「高宮宿」がありました。
 
鳥居本は、江戸から数えて中山道六十七次の第六十三にあたる旧宿場町です。現在は滋賀県彦根市鳥居本町。
 
本陣は寺村家が務め、脇本陣と問屋は高橋家が務めました。
 
本陣寺村家は合計201帖もある広い屋敷であった。
文政12年(1829年)から天保12年(1841年)までの『寺村家大福帳』によると、本陣宿泊客の状況は、13年間に161回3,594名が宿泊している。1年間の利用回数にばらつきがあるが、平均で年間利用回数12.4回、1回の平均利用者数22.3名であった。また1回の利用者数の最多は80名、最小は2名で、実際は50 - 60名がその収容限度であった。参勤交代の大名の供揃のように200 - 300名に達すると、全員を本陣に収容することはできず、多い時には156軒の下宿が必要になった。
また、天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、鳥居本宿の長さは小野村境から下矢倉村まで13町(約1.4 km)、宿高115石、鳥居本宿の宿内家数は293軒、うち本陣1軒、脇本陣2軒、問屋場1軒、旅籠35軒で宿内人口は1,448人であった。
鳥居本宿は、安芸廣島藩・筑前久留米藩・紀伊和歌山藩・阿波徳島藩・出雲松江藩・長門萩藩・美作津山藩・伊予松山藩などが利用しており、下宿を利用する大通行が年間数回ずつあった。 (Wikipediaより)
 
では、自転車を走らせてみましょう。
 
 
何やら賑やかな雰囲気が・・・・
 

ちょうどこの日は「とりいもと宿場まつり」が開催されていました。
 
 
 
 これはラッキー!
 
早速、三成さまも登場です!
 
 

近江鉄道サイクルトレインについてはこちらをご覧ください。
http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/cycle/index.html/

 
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