日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

鹽竈神社(和歌山)

2017-04-27 | 神社
和歌浦の鹽竈神社は、大正6年(1917年)玉津島神社の祓所から神社になりました。



海産物、安産の神として信仰されてきた神社で、神体の塩槌翁尊は輿の窟という岩穴に鎮座してます。



結晶片岩でできた鏡山の南面に位置し、岩肌は曝れた木理のような観を呈することから伽羅岩と呼ばれています。

元は玉津島神社の抜所で、かつて浜降り神事の際に神輿が奉置される場所であったことから、輿ノ窟(こしのいわや)と呼ばれていました。



江戸時代後期には、「しおかま」の名で信仰の対象になり、江戸時代の和歌山では「一に権現(紀州東照宮)、二に玉津島、三に下り松、四に塩竃よ」と歌われ、塩田の塩を焼く釜からこの名が付けられたといいます。

また、安産守護・子授けの神、不老長寿・漁業豊穰・航海安全の神としても知られています。


神社の南側の小高い丘上に、山部宿祢赤人が聖武天皇玉津島行幸の際お供をしてこの地を訪れたとき詠んだ
「和歌の浦に 潮みち来れば潟を無み あしべをさして 鶴鳴きわたる」
の歌碑があります。



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不老橋(和歌山)

2017-04-17 | 建築物
和歌山市和歌浦に位置する不老橋は、東照宮御旅所の移築に伴って、紀州徳川家第10代藩主であった徳川治宝の命により嘉永3年(1850)に着工し、翌4年(1851)に完成しました。



この橋は、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の際に藩主や徳川家の人々および東照宮関係者が、片男波松原にあった御旅所に向かうために通行する「お成り道」にかけられた橋です。



橋の形状はアーチ型をしており、この時期の橋としては近畿地方周辺では非常に珍しいものです。アーチ部分については肥後(熊本)の石工集団が施工し、勾欄部分については湯浅(和歌山県湯浅町)の石屋忠兵衛が施工したと考えられています。



江戸時代のアーチ型石橋としては、九州地方以外ではほとんど類例がないものであり、勾欄部分には雲をモチーフとしたレリーフがあるなど装飾的にも優れています。(和歌山市の文化財HP参照)



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観海閣(和歌山)

2017-04-06 | 建築物
観海閣は、徳川頼宣が慶安年間(1648~1652)に木造の水上楼閣として妹背山の海辺に建立したもので、ここから名草山にある紀三井寺を遥拝したと伝えられています。











昭和36年の室戸台風で当時の建物が倒壊したため、現在の建物はコンクリートで再建されたものです。

妹背山を登ると、海禅院多宝塔があり、承応2年(1653年)頼宣が母養珠院のために建立したものです。

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