円山城は阿摺城とも呼ばれ愛知県豊田市御蔵町にあります。今回は「その2」としてお届けします。
円山城は資料によって、城域の捉え方が異なっていて「その1」であらましを述べています。
「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 では見学路東側には遺構が無いとされていますが「足助の中世城館」足助町教育委員会2001 ではⅤ郭を中心に縄張図が描かれていました。
※三河・円山城 「その1」→こちら
円山城 Ⅴ郭を中心とした見学路東側にも城郭遺構がある
「その1」では見学路西側のⅠ郭を中心にした城域を取上げましたが、今回の「その2」では東側のⅤ郭を中心にした城郭遺構について見てゆきたいと思います。
円山城 b地点から東尾根を進み尾根の小ピークから尾根奥の⑫を見る 西から
見学路が尾根に出た地点bに立つ表示板から東側の尾根筋を進むと尾根の小ピークから平場⑫が見えてきました。Ⅴ郭は更に奥にありますのでⅠ郭からは約200m離れていました。
円山城 平場⑫とⅤ郭の間の凹んだ削平地⑪ 右上にⅤ郭 手前にⅤ郭を巻く通路 南東から
平場⑫には土坑が一つ有りましたが、それ以外には目立った遺構はなく削平は粗い状態でした。
平場⑫とⅤ郭の間には尾根を掘り下げた様に見える削平地⑪がありました。
円山城 Ⅴ郭 西から 「東出丸」の地元看板が立つ 土塁等は見当たらない
東側の城域の中心はⅤ郭と思われ、地元表示板では「東出丸」とされていました。Ⅴ郭の周囲の遺構とみなす地形は輪郭が甘くなっていますので、ひょっとすると東側の遺構は、西側よりも古い時期に稼働していたが、後にⅠ郭に中心を移したのではないかと想像してみましたがどうでしょう。
円山城 Ⅴ郭の東側の平場⑥ 南から 左手上にⅤ郭
⑤郭の東側はなだらかで広い尾根地形ですが、平場⑥は尾根を削ってⅤ郭の切岸を造り出しているようでした。平場⑥は腰曲輪のようですが、曲輪自体の防御性はなさそうでした。
円山城 Ⅴ郭北下の平場⑦ 東から
平場⑦はⅤ郭から北に伸びる尾根を削って切岸を造り出した平場でした。小さな小屋掛けくらいは出来そうな面積でした。
円山城 平場⑥と⑦の間の竪堀地形⑧ 南西から かなり埋まっている
平場⑥と平場⑦はほぼ同じ高さでしたがその間に竪堀地形があり、両平場の通行を妨げているようにみえました。この地形が竪堀だとすれば、ますます東側の城域に城郭遺構があると言えそうですね。
円山城 南東尾根の掘切⑩ 切通し道としても利用された?
Ⅴ郭から石飛城の方向(南東)に伸びる尾根には掘切地形⑩がありました。掘切の西側は林道工事で失われたようですが、東側には南東方向への道の踏跡が残っていました。現在見えるのは山仕事の切通し道かと思われますが、往時からあった地形ならば尾根を断ち切る掘切と見ても良いのではないかと思いました。
円山城 掘切⑩ 林道によって西側は削られた 北西から
近年の林道工事によって掘切⑩(切通し?)は西側が削り取られたようでした。
円山城 南東尾根の付け根の凹み地形⑨ 北西から
図2の⑨の部分の写真ですが、ブッシュでよくわかりませんね。目視でも曖昧なのですが削平地⑪のような浅い凹んだ地形が在った可能性がありそうでした。
今回の見学を通して、円山城の東側のⅤ郭を中心にした城域があったと見ても良さそうだと思いました。
「愛知県中世城館跡調査報告2」では否定されているので、僕の思い込みによってそう見えてしまったのかもしれませんが、色々想像しながら見学ができて大いに楽しめてよかったです。