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伊勢・宿野城 宿野集落にあった屋敷の詰城、宿野西城との関係は?

2021-05-13 | 歴史

宿野城は三重県菰野町宿野にあります。宿野城の城主、来歴は詳らかでは無いようですが資料(3)によれば城の北方約500mの宿野集落には宿野城屋敷が在ったとされます。また宿野城の西500mには宿野西城があり、宿野城の支城であったとも言われます。
 今回の資料は(1)「三重の中世城館」三重県教育委員会1976    (2)「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著2008
(3)三重県環境生活部文化振興課のホームページ「三重の歴史・文化散策マップ」 です。


宿野城 図1 明治の旧地図の道を重ね合わせる 
 巡見街道は江戸時代に整備された道ですが、それより前の時代からあった古い道ではないかと思い重ねてみました。南へ抜ける点線の道はゴルフ場の開設で消滅したようです。宿野西城が同時に稼働していたとすれば後に巡見街道となる重要な道を両側から抑える城だったと言えそうですね。
 宿野城屋敷は集落を支配する土地の豪族の居館で、宿野城はその詰城だったと考えられます。宿野西城も見学しましたが、段々地形は有りましたが城域も明確でなく、見張り台程度のものがあったのかもしれないと思いました。宿野西城は資料(2)では取上げられていませんでした。


宿野城 図2 宿野城概略図 集落と城の間に金渓(かんだに)川が流れる 渡河地点は?
 宿野集落から城への道は金渓川を渡る必要がありました。往時もほぼ同じルートだったのではないかと想像しましたがどうでしょう。城は北に突き出した尾根の北端部に築かれ南側を堀切⑤で断ち切って敵の侵入に備えていました。Ⅰ郭とⅡ郭の中間部には一辺約7m高さ2mほどの方形土壇②があり、資料(1)では墓地として使われているとありました。


宿野城 北西からの遠景 手前の農道を進む
 現在は写真の農道を通って城址に向かいます。圃場整備で多少変化しているかもしれませんが往時も似たような城道が在ったのではないでしょうか。


宿野城 Ⅱ郭への虎口地形① 城道外側から
 城道は虎口地形①を通ってⅡ郭に入ります。Ⅱ郭はU字形に土塁が取り巻いていたのではないかと思いますが現在は欠損部分がありました。


宿野城 図2   Ⅰ-Ⅱ郭間の土壇①     Ⅱ郭から
 資料(1)で、土壇は「現在墓地となる」とされていました。ヒョットすると②は墓地として利用する際に東西の両サイドを削ったため櫓台地形が方形に残ったのではないか、往時は2つの曲輪を分断する大きな土塁状の地形が在ったかもしれないとと想像してみましたがどうでしょう。


宿野城 土壇②周辺にある石積 墓地関連の石積だったかも
 資料(1)の調査時点では墓地として「現役」の様に記述されていましたが、現在は現役の墓地ではなさそうでした。石積が在りましたので、墓地に関連した石積だったのかと思いました


宿野城 Ⅰ郭 西辺の土塁 左手がⅠ郭  北から
 多少の風化があるものの、長い土塁がよく残っていて見どころでした。


宿野城 Ⅰ郭南辺の幅広の土塁 東から 右手にⅠ郭
 Ⅰ郭の土塁は南側で幅が広くなっていました。Ⅰ郭内側の土塁法面も樹木が少ないためか、きれいに残っていました。


宿野城 Ⅰ郭南の堀切⑤と土橋 この堀切と土橋もきれいに残っている    右上にⅠ郭
 Ⅰ郭南の尾根を断ち切る堀切は残りがよく見ごたえがありました。土橋は通路としてと同時に堀切を遮断する役割の「堀障子」のように見えるしっかりした造りでした。

宿野城は小規模ながら遺構の残りがよく、楽しく見学ができました。