形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

サバイバル

2012-09-21 12:47:38 | Weblog

昼休みに書店で本を見ていた。 そこで目に止まったのが、
「サバイバル登山家」(服部文祥著 みすず書房)だった。
サバイバルという言葉に弱い私は、タイトルに惹かれてすぐに買った。
(2008年記)

私の愛読書の中には、「SASサバイバルマニュアル」(バリー・デイヴィス著)、
「アウトドアのロープワーク」(小暮幹雄著)、「アウトドア 危険・有毒生物」
(篠永哲著)、「サバイバル読本」(伊藤幸司著)などがある。
こうしたものは、小さい頃の探検家になりたいという夢と通じている。
(注:SASは英国陸軍、特殊戦闘部隊の略)


ウィキペディアの定義では、サバイバルとは、人間が文明や社会から
隔絶された状態、もしくは、その恩恵を享受することが困難な状況で
生き抜くこと、となっている。


私ばかりでなく、男にはそういうものに血が騒ぐという人も
多いのではないだろうか。 映画などでも、こうした設定の
人気映画がある。 "ランボー" シリーズなどもそうだ。 
あれは戦闘映画だが、サバイバルは戦闘に限らない。 地震など
による都市災害や、山岳での遭難、船の難破によるものもある。


人が器械や道具力に頼ることを極力排除し、肉体の力と知恵を
駆使して生き抜くこと、またその技術をサバイバルという。
サバイバル登山は、登山用の便利な道具を徹底的に削ぎ落とし、
食料も自然の中で調達して生き抜いた記録だ。 時計もラジオも
ランプも、燃料さえ持たない。 人間の原初の能力によって、
厳しい自然の中で生き抜き、生そのものを実感したいという、
命をかけた、" 存在の確認 " がその奥にあるのだろう。


サバイバル登山の始めは、フリークライミングの思想の影響に
よるという。 フリークライミングは、岩と人間のあいだから、
やはりモノを極力なくし、人間がじかに自然の岩と向き合い、
その人の肉体と精神力、技術を試すものと思う。


前にテレビで、外国の急峻な岩山を一人で攀じ登る、女性のフリー
クライマーを見た。 登攀する姿の美しさとともに、命綱をつけずに
攀じ登る、その凄さに驚いた。 私も若いときに、山登りの延長でロッ
ククライミングを少しやっていた。 それは腰に、岩に打ち込むハーケ
ン(板状の鉄のクサビ)や、カラビナ(開閉自在の金属の輪)、ハンマー
などをガチャガチャいわせて攀じ登るものだ。 手がかりのないところに、
人口の手がかりを作り、それも使って登る。 フリークライミングから
すれば、それはフェアではないのかもしれない。


フリークライミングの思想はアメリカから始まったそうだが、結果より、
その過程を重視したものといえるだろう。 自然と人間のあいだに置かれる
"便利さ"というのは、何か大切なものを置き忘れていくような気がして
ならない。

「サバイバル登山家」の冒頭に書かれた、一人での、記録的な豪雪の
知床半島全山縦走(3/25~4/12の19日間)などは、ほとんど
遭難じゃないかと思うほどだ。  


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright 2008?2009 shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あの光のところ | トップ | 虹を追って »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事