子どもの頃を思い返すと、なぜあんなことを面白がったのだろうと、
不思議に思うものがある。 小学校の頃、松ヤニ遊びが流行った。
松ヤニの粉を指先につけて、友だちのナイロンジャンパーをつまみ、
素早く引くとキュッと音がする。 これを面白がり、大流行した。
ナイロンのジャンパーを着る、冬に流行った遊びでセーターでは
音はしない。 松ヤニはスポーツの滑り止めなどに使われるが、
誰が考えた遊びなのだろう。 松ヤニは駄菓子屋においていたが、
流行ったときだけ売っていたように思う。
もうひとつ、ハッカを使ったイタズラ。 友だちに内緒で、指にハッカをつけ、
目をつむらせる。 そしてまぶたの上か目の下に指先をスッと擦りつける。
目を開けようにも、スースーしてあけられないほどになる。
ハッカは飴のハッカじゃ薄くてだめで、本格的なハッカの結晶を使った。
これは薬局で売っていて、友だちと買いに行ったことがある。
こっちのほうは、友だちが目を開けようにも開けられない様子が、
なんともおかしかったが、やったほうも始めはもがいた犠牲者だった。
ハッカの小さな結晶を一粒口に入れてみたが、恐ろしいほどの辛さだった。
もののない時代、子どもたちはささやかなことに楽しみをみつけていた。
足りない分は想像力で補って遊んだ。 極端な貧しさは悲惨だと思うが、
ものの少ない時代、豊富な時代、どちらがほんとうに幸せなのだろうか。
足りないから、手に入ればありがたく貴重である。
溢れれば、それが当たり前になって、喜びも薄い。
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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